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テキサスの空の下、猫の事、学校の事、家族の事。。。
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今月末まで秋学期が始まらないので、
色々な人に会いまくって、外食しまくってます。
今回は、最近知り合った韓国人とアメリカ人の友人と焼肉三昧。
韓国人が進める『カルビ(焼肉)屋さん』に行ったのですが、
美味しすぎだ・・・・・・・。

サンチュに巻き巻きして食べる韓国人。
ご飯と一緒じゃないと焼肉食べられない日本人(ワシです。)
屋内BBQなんて初めてだと感動するアメリカ人。(爆)

そして、食後は最近できた韓国のカフェ。
dc7b7d5c.jpg













これが店内なんだけど、
日本の大人なカフェととても似ていて落ち着けました。
流石アジア人カフェ、サービスもとてもよかったです。

韓国の喫茶店って、どんなに長居してもいいらしいです。
コーヒー一杯で相当粘った私たちでした。(^^)

で、そこで盛り上がったのが、この前の日記で書いた『謙虚』ってことなんですよ。
というのも、『謙虚』と『本当の優しさ』が最近の私のテーマでもあって。
といっても、自分のプロフェッショナルにおいての謙虚さとは又違う話題なんです。
他人との関係においての『謙虚』さについて。
そして、三社間では、謙虚=下手に出るという解釈から意見が分裂。(笑)
人間偉ぶってはいけないし、かといって下手に出すぎると相手に勘違いさせるのでは
そういう会話が飛び交っていた。
三つの異なる文化を持つこのディベーター(笑)の意見の違いに大笑い。

韓国人は、とてもコンサバ:
『謙虚になる時は謙虚にするべきだし、
 相手が頭の良いひとなら、こちらがわざと謙虚にして相手を立てている
 ということにすぐに気がつくはずだし、
 そういう事が分からなくて勘違いして、謙虚に出てるこちらをバカにする人は
 あまり頭が良い人じゃないから、かわいそうな人だと思っていればいい。
 特に年上の人には、謙虚でなきゃいけないわよね。
 そして、優しさも同じ。 優しくしてあげて感謝できる人もいれば、
 当たり前になったりするひともいえる。
 優しさが分からない人は、やっぱりかわいそうな人と思えばいい。
 だから、自分は変わらず謙虚でいればいい。』

そこにアメリカ人がキックイン!(笑)
『いやー、それじゃその人一生気がつかないよ。
 最初は謙虚でいても、相手がこちらがわざと謙虚に下手に出てるなんて
 気がつかない輩には、ガッツンと言わなきゃダメ。
 じゃないと、いつまでもバカにされ続けるし
 その人間の為にもならない。
 それに人の親切を分からない輩もいる。
 そういうのには、優しくする価値なし。』

なるほどねぇ~と頷きつづけた日本人の私
これどっちも本当だと思うんだよね。
って、やっぱり私は曖昧な日本人?(爆)

でもね、最近思います。
下手にでてみたり、優しくしてみたりって、
それが仇になっちゃうことがあるということ。
相手が勘違いしてしまい、横柄な態度になってしまう事もあるんだよね。
それが当たり前になって、横柄な態度にでる人には、
それ以上優しくしなくて良いんだなって最近思います。
だから、私の考えは、韓国人とアメリカ人の中間。
偉ぶる事は無いけど、あまり謙虚にしすぎることもないんだなってこの頃思います。

うーん、このバランス難しいね。
『謙虚』と『傲慢』のハザマで色々考えます。(笑)
そして、相手によって、その使い分けもいいのかもしれないね。
こちらが下手にでたり優しくする行為を感謝してくれる人、
そして、そうでないひともいる
これを見極めて、使い分けするのがいいのかもしれないね。
ま、その見極めも、結局付き合ってみないと分からないんだけどね

そして、私自身も、人に親切にされたり優しくされたら感謝の気持ちを忘れちゃいけないね。
人間って、困った時だけ人の優しさを求める事が多くて、
自分がその困った事から脱出すると、まるで一人で立ち直ったような気になって
助けてもらった事も、すっかりわすれちゃったりする。 そのほうが楽だからね。 
私も意識していないと、そういう事をしてしまう事もあったのだろうと思います。
人は、『してあげる事』より『してもらう事』のほうが簡単だからでしょうか。

そして、自分に対して謙虚であってくれたり、
威張らず、否自分を低くして私を立ててくれる人が居たら、それを当たり前に思わず
Respectしなきゃいけないんでしょうね。

人がどうのじゃない、自分がそうやって生きていかねばと最近富におもいます。

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もう一年以上もあっていなかった修士の時の友人に会ってきました。
彼女は既に仕事をソーシャルワーカーとして始めています。
その彼女の生き生きとした現場の話を聞いてみると、
やっぱり、現場あっての研究なんだと感じていました。

自分が博士号をとりたいと思ったのは、自分が関わったクライアントを助ける事が
自分のその時の力ではどうにもならなかったことから。
ただ、博士号が欲しいとか、他にすることが無いからとか(^^)じゃなくって、
その困ったクライアント達の顔を、私は一生忘れられない位、自分が不甲斐なかったから。

先週ある教授と話していた時に、
彼女も研究していくうえで、その研究エリアに対する情熱が何より大事だと言われました。
日々の勉強に追われて目の前の事だけにとらわれていたこともあったこの一年。
でも、こうやって現場で頑張っている友人や、
私を奮起させてくれたクライアントたちの事を思い出すことで、
何で自分が研究をしたいのかを考える機会を与えられた気がします。
もう一度初心にもどって、色々考える時なのかな。

とくにソーシャルワークは、人と関わって何ぼの世界。
そういう事に、文献のなかだけを網羅して理解したつもりになるのは自分でも怖い。
たまにこうやってプラクティショナーの友人に会うことは大事だと思いました。

そして、私が一番最初にインターンをしたエージェンシーのスーパーバイザーと
久々に会ってお話する事ができました。
彼女は本当によく面倒をみてくれたし、可愛がってくれた人。
私が博士課程にはいったことは伝えてなかったので、
そのことも含めて、色々とお話できました。
二つ目のインターンは辛い事が多かったのだけど、
その時を通り過ぎることができたのも、彼女がよき模範としていてくれたから。
辛い時に相談したときは、厳しいけど適切なアドバイスもしてくれた。

そんな彼女が近々リタイアすることになった。
そのことも含めて色々話をしてくれたのだけど、
『貴女が今フリーで仕事を探していたなら、貴女に是非して欲しい仕事があったのに・・・』
といわれました。
難民の人達をクライアントとする事務所なのですが、
それは私が現役ソーシャルワーカーだったら喉から手が出るほど欲しい仕事でした。
でも、そうやって言ってくれた事だけでも本当に嬉しかった。
彼女も、人生の新しいステージへ踏み出す直前ということもあり、
二人でちょっと感極まってしまいました。
今までお互い忙しくて連絡とったりとらなかったりだったけど、
この人もまた素晴らしいプラクティショナーとして、これからも色々勉強させてもらいたい人。

自分の人生がこれから研究のほうに傾いていくからこそ、
『現場』の声を聞く時間を作る事が本当に大事だと思いました。

うん、また頑張ろうって気持ちになりました。
数人の教授からも言われたとおり、『謙虚になる』事の大切さをまた考えていました。
『博士』なんて称号がついたりすると、勘違いして『偉くなった』と思う人がいるとのこと。
その数人の教授に
『博士という称号を貰ったら、
 もっと謙虚な態度で居なければいけない』という事を言われました。
確かに、博士という称号で勘違いして、周りの人に耳を貸さない人間になったら、
きっと大事なものを沢山なくしてしまうでしょう。
たった一つの称号で、大きな勘違いをして自分が神様にでもなった感覚なのかな。
つまり、『裸の王様』状態ですね。
学業だけではなく、人間としてマチュアでなければいけないという事でしょうか。

そうそう、その久々にあった修士のときの友人とランチしたのですが、
コロンビア料理を初体験。
これが以外と美味しかった~。 
勝手にメキシカンと似てるかなとか思っていたのですが、全然違った。
(それって、日本食と韓国食が似てると勘違いするのとかわんないよね・笑)
とくにバナナのフライがお気に入りになりました☆

クラスメートの一人、韓国から来ているSが
この夏に他の学校へと転校することになりました。
大分と前に、彼女がそのことを最初に伝えてくれた時、
お互い電話で泣いてしまいました。
彼女もまた、私の博士課程生活を支えてくれた大事な人でした。
クラスの皆が、彼女の転校を残念がっています。
他のアメリカ人のクラスメートにも本当に好かれている人でした。

彼女とは、いい事ばかりではなく、色々あった仲でもあります。
まだまだ二十代の若い彼女に、
とある事で、一学期の時に苦言を呈したことがありました。
アメリカの学校に慣れていない理由もあり、
余り周りが見えていない状況だった彼女だったのですが、
それでも敢えて、彼女がこれからアメリカの学校で学んでいく以上、
知らなければならないルールなどを含め、きついけどはっきりと苦言を呈しました。
陰で、彼女を笑っている事も出来たでしょうが、
彼女の先の事をと考えたら言うべきだと思いました。

すると、彼女から即座にメールが返ってきたのですが。
これには本当にビックリさせられました。
若いのに、今まで色々苦労をしてきた子だと、その時理解が出来たのですが、
彼女のメールには、
『ありがとうございました。 貴女が私の間違いを示してくれなかったら、
 私は何も知らずに生きていくところでした。
  私に、間違いを正すチャンスを与えてくれた事に、心から感謝します。
 そして、私のために立ち止まって辛い事を伝えてくれた事、心から感謝します。』
というメールでした。 
中々言える事ではないでしょう。  本当に感心したのを覚えています。

それ以来、私たちは本当に良き学友であり、よき姉妹のような関係になっていきました。
私が彼女から学んだ事も本当に多くありました。
一番は、『素直な心』。
その素直な心は、沢山の事をまるで乾いたスポンジのように吸い取っていく力がありました。
彼女なら、これからも何処の学校にいっても沢山のサポートが得られるでしょう。

彼女にキツイけど真実を伝えた時、私は彼女を信じねばなりませんでした。
『人を信じること』って本当に容易いことではないのだと若い頃から感じることがあります。
特に、自分が部下を持って働き出した頃は、
人を導く役目の重さを痛感させられるたびに、
『人を信じる事』の大事さを勉強したのを覚えています。

それを教えてくれたのも、私の先輩であった人でした。
自分も、そうやって未熟であった頃に、沢山の人に育ててもらってきました。
その先輩は本当に厳しかった。
何で、こんなに厳しいのだろう。
何で、私の失敗にダメだしするんだろう。
何で、こんなにきつい事を言うんだろう。
何で、ここまで私に要求するのだろう。
何で、手助けしてくれないのだろう。

そういう不満が彼女に向かっていった矢先に、
他の上司から、その先輩が実は私にとても期待を掛けてくれている知りました。
冷たく感じていたのは、私のため、私の将来のために、
私が転んだとしても、自分で起き上がれる力が在ると信じていてくれたからでした。
キツイ苦言も、私の為でした。
彼女の方から、私に手を差し伸べてくれるのを待っていた私は、
『何て冷たい人だろう。 何て意地悪なんだろう』と思う時すらありました。
でも、真実は逆でした。

自分が人を指導したり育てる立場にたってみて、
一段と、その先輩の大きさに気がつかされたことがありました。
彼女にとっては、『優しい先輩』として私に何時も手を貸してくれていた方が
どれだけ楽だったことでしょう。
私の機嫌が良いように、優しい事だけを言うほうが、どれだけ楽だったでしょう。
部下に嫌われるのも覚悟で、『嫌ごと』でありながら、
でも真実を敢えて伝えてるほうがどれだけ労力が居る事か。

その時、先輩が私を信じていてくれたからこそ、
私に厳しくしていた事に気がついた私は、
彼女が私の将来を本当に心配してくれていた事にシミジミ気がつき
涙した夜もありました。
それまでは、『この先輩なんで自分から歩み寄ってきてくれないんだろう』と思っていた私が
初めて、自分からその先輩に歩み寄り、感謝の気持ちを述べた事があります。
その時の、彼女の嬉しそうな顔は忘れられません。
若い頃は、無意味なプライドが邪魔をして、自分から歩み寄りなんて思えないものですが、
それが出来るかどうかで、その後の人生が変わってしまうのだと思います。

その逆に、良い事だけをいって近づいてくる人も世の中には沢山います。
なぜなら、そのほうが楽だから。
その先輩のお陰で、私は誰が自分の事を本当に思ってくれているかを
見回す努力ができるようにはなっていきました。

きっと、子育てもそういう事なのだろうなぁと思います。
他人は陰で笑っていればいいけれど、親だからこそキツイ事をいわねばならない。
その挙句、嫌われるなんて『親家業』はそんな事ばかりだ。
なんていう人も居ましたが、
愛が在るからこそ苦言を呈する親を、逆恨みして終わる子どももいるのでしょう。
そして、その親の愛の大きさに気がつく時、もう遅かったという事が多々あるのでしょう。
でも、それも成長の過程。 遅くても気がつけば良いのだと思います。

子どもが居ない私ですが、若い人とお付き合いする時に、
出来れば、私の先輩のように、その人を信じて本当の事を話せるようにしています。
そして、その時理解されなかった事でも、いつか気がついてくれるだろうと信じることにしています。
(きっと、親である皆さんも、日々そういう事の繰り返しなのでしょうね。 親業には本当に脱帽です。)
信じるからこそ、ある程度以上は、余り自分から手を差し伸べないようにもしています。
自分の力で立って、自分から歩み寄ってくれる事も期待します。
信じていれば、その時わかってもらえなくても
時間がたった時、私の真意を理解してくれれば良いと思います。

アメリカには、そんな人生の先輩的な関係は無いと思われがちですが、実はあるんです。
”Mentor”と呼ばれていますが、直訳でいうと、『忠実な助言者』、『指導者』、そして『師匠』
会社や、何かの組織での正式なMentorもいますが、
私生活のなかで、色々自分を導いてくれる先輩的存在の人も含まれます。
こういう、自分を導いてくれたり、軌道修正してくれる人の存在は、こちらでも大事にされています。
若いうちは、沢山間違いを犯して当たり前。
だからこそ、その度に頼れる助言者がいることは大事なのでしょうね。

Tough love.
どうでも良い人であれば、一々面倒な事もいわないでしょうが、
大事な人であるからこそ、敢えて苦言も呈するのだと思います。
世間の親御さんたちも、皆さんそうなのでしょう。

話がずれてしまいましたが、転校してしまうSとのこの一年弱を思い返していました。
何処に行っても、素直に人のサポートを受けることが出来る彼女の心配はいらないでしょう。
あの時、敢えて伝えた私の苦言を受け取ってくれた事、
そして、私に色々なことを教えてくれた事、彼女にも感謝の気持ちが一杯です。
これからの成功を祈らずにはいられません。

月曜日の統計の期末試験がおわって、
あとは二つのペーパー提出なんだけど、
すでに先週までに仕上げて在るので、
ちょっとしたリタッチを除けば、今学期は終わった感じ。
月曜の夜から気が抜けている状態だった。
が、私もあった事が在る夫の友人が急に亡くなり、
慌ててお葬式に出かける。
まだ50歳の働き盛り。
沢山の人が葬儀に来ていたのを見て、
その人の生前の生活が目に浮かんでくる。
人間関係を大事に育ててきた人なんだろうなぁと思った。
人が生まれてなくなるまでどれだけの人と出会うか分からないけど、
その中で、出会えた人達との『縁』はかけがえの無いもの。
大事に、人生を通して育てていくものなんだろう。

学校でも、そんな『縁』の大切さを感じることが多かった。
今学期は、本当に初学期と違って、実りが多かった。
というのも自分が、学期の最初に変わったからかな。
一学期目は、周りの人間がCompetitiveに見えたりしたけど、
結局自分がそういう状態だったんだろうね。
自分がCompetitiveだから、相手がCompetitiveに見えるわけ。
自分がCompetitiveな気持ちが泣ければ、
相手のそういう部分なんか全く見えてこないはず。
自分が変われば、回りも変わる。

今学期は、皆競争どころか、お互い『協力』して助け合った。
月曜日の試験直前も、皆で助け合い。
統計の苦手な人に、出来る人間が片っ端から教えていく。
その代わりに、ペーパーが苦手な人には、
ライティングが得意な人が、英語の文法のチェックもする。
この助け合いの雰囲気は我がクラスながら素晴らしかった。

アメリカに居ても、『縁』の大切さを感じる。
『縁』はどこかからやってくるんだろうけど、
その『縁』を今度は育てていくのが人間なんだろうね。
壊れ物と同じく、大事なものは、大事に扱わねばいけない。
大事な関係を築くのにも、努力が必要。

大事な出会いは、日本人もアメリカ人も変わらない。
もう長く続いている友人とは、
どちらかがその大事なものへの認識を欠かしたら
一気になくなってしまったものだろう。
簡単なようだけど、大切なものを大切なものとして
お互いに気を使いながら続けてきた友人関係は宝物。

今回も、この大事な出会いを、育てていければと思った。
今週は、大事な猫仲間キムの誕生日。
またサプライズを企てている。(^^)

そして、今年の夏休み、超特急でボストンとNYに行こうかなと思っている。
もう長くあっていない大事な友達、キャロラインとマグダリーナにあいに。
そして、ロンドンからマリーニがきてくれる予定。
楽しい夏になりそうな予感。
中々女同士の仲は長持ちしないという人も居るけど、
もう十五年もの付き合いが殆ど。
いつまでも、大事にしたい関係。

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