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テキサスの空の下、猫の事、学校の事、家族の事。。。
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学期も終わり、がーっとため寝をしたり、
今まで時間があるときに出来るだけ参加していた
ボランティアにも顔を出す。

折角の休みなのに、ゆっくりすれば!と言う人も居るけど、
これが何よりのリラックス方でもあるんだよね。

人が何よりストレスがたまるのって、
『私!私!私!』
とそれがポジティブでもネガティブでも気持ちがただ内向する時。
特にネガティブ思考が内向すると、もうそれがストレスの元凶。

『どうして私だけ○○なんだろう』
『どうして、私だけこんなに辛いんだろう』
『どうして、自分には幸せはめぐってこないんだろう』

と何もかも自分のことばかり。

そんな時、逆に自分より困った人達のために何かしてみる。
すると、ポジティブなエネルギーが外向していく。

内向したネガティブなエネルギーは、自分の中でドンドン膨らむばかり。
まさしく、『悪循環』
外交したポジティブなエネルギーは、周りにもポジティブな力を与え、
必ずまた自分のところに、色々な経路を通って戻ってくる。

地元のボランティアで、自分が出来る事を少しずつ
出来る時にやってみる。
時間なんか、いくらでも理由作ればないわけで、
その逆に、探せばいくらでもある。
『私!私!私!』と叫んで悪循環の中に引きずりこまれる時間をなくせば。

Giving is receiving.
ソウルメートのマグダリーナとの電話に、この言葉は良く出てくる。
彼女と電話をすると何時も元気をもらえるのは、
彼女がGivingな人だからだろう。
どんな辛い状況でも、彼女は誰かのために動いていたりする。
それは猫友のキムも同じ。
彼女たちと話していて、『◎◎さんが、どーの、こーの』
と、人の話をすることが本当に無い。
もっとProductiveな話だけ。
そして、そういう話をしている時間があったら、人のために使う人達。

自分の周りに、こういう前向きな人達がいるのはありがたい。
人間って、マイナスな方に転ぶのは簡単なんだよね。
それをあえて、ポジティブな方向に転換していく努力が必要なんだろう。

こういうポジティブな考えって、実は日本的でもあると思う事が最近ある。
決して西洋だけがポジティブ思考の発端ではないと思う。

最近知り合った日本通のアメリカ人に茶道のことを色々聞かれる。
昔やっていたので、説明をちょこっとしてみる。
そんななか、改めて『日本人の心』の再確認をしたりしている。
茶の心として、私が茶道の先生に繰り返し聞かされていた言葉は、
どれも、日本人の前向きな精神を語っていると思う。
それだけではなく、前向きでマチュア(熟成した、大人の)な精神。
昔の日本文化って、今とは違って本当に大人の文化だったんだよね。

『和敬静寂』

おもてなしの心なんだけど、これって世界共通なことなんじゃないかと最近思う。
人と人とが関わりあう時に、大事な事。

人を敬う心、和みあう心、物事に動じない心。

そして、これはもう今知らない人は居ないだろう言葉。

『一期一会』

今このときにしかない出会い。 
それがどういう出会いでも、別れてしまった出会いでも、
傷ついてしまった出会いでも、
それぞれに意味があるのだから、自然と感謝できてくる。
壊れてしまった出会いを、それをかき消したいがために
最悪の出会いだったと豪語することもない。
その出会いにも、楽しい時があったはず。
そうであれば、その楽しかった時間をもてたことに感謝できる。
一期一会。 
これもまた、今風に言えばポジティブ思考の一つ。
どの出会いにも感謝するべきなんだろう。

茶の心には、生きていく上の大事な智慧が満載。
ふと、また茶道をしたいなぁと思うようになった。
20代の時には、この茶の心の言葉の本当の意味が分かっていなかったんだろう。
もっと深い意味を感じることが出来るようになった気がする。

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今回の事件で、アジア人学生の間に緊張が高まっている。
実際私も学校に言った時、そのことが頭を掠めていた。

グループプロジェクトの集まりがあったので、
早めにPh.D.ラウンジに行くと、
既にアメリカ人生徒のJ と L、そして韓国人生徒のSが来ていた。
空気は重いものではなく、その逆に何だかそのことには
触れてはいけないようなハイパーな空気が双方から流れていた。

私も暫く皆でプロジェクトの仕事をこなしながら、
授業が始まる前に四人で軽く夕食を食べに行こうと話し出す。
四人で私の車に乗り込んだ直後、私はカジュアルに切り出した。

『いやー、S達韓国人留学生は昨日から大変だったんじゃないの?』
できるだけ軽い感じで聞いてみる。
するとSもせきを切ったように、

『そーなの~、何だか悲しい事件だし、
 この事件には色々な多面な要素が入り組んでいて。。。
 犯人が韓国人だって事はショックで。。。』

と彼女がそこまで言うと、J と Lがすかさず、

『気にしちゃダメよS! メディアはおかしいわ。 
 だって、犯人は小さいときにこっちにきたわけで、ステイタスがどーだとしても
 移民の一人と変わりないのに。
 中には留学生だとか、外国人だとか強調しちゃうメディアがいるのよね。
   分かっている人は分かってるから、Sは気にしちゃダメよ!』

Ph.D.だから大人が多いので、そうなるだろうとは思っていたけど
中々頼もしいクラスメートだと胸をなでおろす。

その後授業中、グループワークをしていた時に、Sの携帯が鳴りっ放し。
Sがいうには、韓国の大げさな報道で、
韓国に居る友人たちが彼女の安否を気にしているらしい。
このどは、それを聞いたSBが、
『心配すんな! 俺たちはRetaliation(報復)なんかしないって友達にいっておきな!』
とちょっとブラックな、でもこういう空気が重い時にはとっても助かるジョークをとばして、
クラスが大笑いになった。 
この大笑いのなかで、韓国人Sも緊張がほころんだ顔をしていた。

今学期になって、私たちクラスメートは結構結束が強くなったのだけど、
英語で苦労しているSにも、本当に感心するほど
手を差し伸べてくれていたアメリカ人生徒。
彼女のペーパーの英語を手直ししてあげたり、
彼女が自信を失いかけている時も、励ましてくれていたり、
同じアジア人留学生として、見ていてホノボノする光景だった。

メディアには、大げさな誇張された部分しか出てこないと思う。
それはアメリカ側も韓国側も、いや日本のメディアでも。
クラスの皆も、そういうメディアに惑わされない事の重要性がわかっていた。

今回の問題は、一つの事柄だけを見つめて解決するものではないと
韓国人のSも、他の生徒たちも色々考えを述べていたけど、全くその通りだと思った。
今回の事件のうしろには、Multifacetedな問題がうごめいている。
私のクラスでは理解のある大人が多かったけど、
そうじゃないところも多いと思う。
この事件がきっかけでアジア人へのイメージはどう変わっていくのだろう。
Hate crimeが起こらないことを祈ってしまう。

アメリカのヴァージニアの事件につづき、
今度は選挙戦の真っ最中、長崎の市長が
街中で銃で撃たれるという事件が続く。
そこにうごめく、それぞれの社会の歪が見えてくる。

ヴァージニアテックの犯人は殆ど韓国人学生と判明している。
八歳のころにコチラに移住してきたという。
学校では友達もいなかったという話まで掲載されていた。
メディアが騒然としてこの話題でもちきりだ。
何処までの話が本当なのか、見極めるまで時間がかかる。
こういうニュースほど、すぐリアクトしてしまいがちだけど、
もっとじっくり、その事件の本質を見てみたい。
それから、事実を踏まえて色々私も考えたいと思う。
今は余りに憶測で沢山の事が語られすぎだ。

早速ネットでは、銃規制の件、
そして今度はアジア人への偏見、
その上、留学生への色々な意見がアメリカ人側から出ていたりする。
(彼は留学生ではなく、移民の子らしいが、
 ここらへんも、事実を把握することなく無責任に語られるのは怖い)
一人の韓国人学生が起こした事件が、
この先どういう方向へと変わっていくかが気がかりだ。

今日のクラスで韓国人の友人、アメリカ人の友人とこの話になるはずだ。
なにせ、質的リサーチ方法論のグループプロジェクトで
『Racial relations』の総纏めなのだ。
韓国人の友人は、余りに偶然だが
アメリカ人生徒に反発を感じる韓国人生徒の意見のインタビュー結果
を持ってくることになっている。
皆、それぞれに感情を抜いて討論できる大人ばかりなので
冷静に色々、今回の事件も含めて話ができるだろう。

何時もこういう時に思うんだけど、
大事な事は、討論するだけの事じゃないということ。
語るだけじゃ何も出来ないという事。
カーっと、瞬間湯沸かし器みたいに事件にリアクトしてしまい、
まだまだ事件の本質をつかめる情報が無いまま感情論で語られる。

ブロガーたちは、語るだけどころか、
何時ものようにまた時間が経つと、『言いっぱなし』状態で
そのことは忘れたかのようになってしまう。
ここの所ネットでよくみるマスヒステリア。

猫助けのときも何時も思うんだけど、
『語る』ことは誰でも出来る。
ましてや正々堂々と実名をだしての討論ではなく
匿名のままの討論。
『言いっぱなし』というかたちになっても責任はない。

『語る』ことは、場所があればだれでもできる。
ましてやネットであれば、クリック一つで全世界へ語れてしまう。

ただのComplainerになるのは簡単なのだ。
その真逆で、色々な社会問題を一言も語ることなく
黙々と行動して、何かを変えようとしている人を沢山知っている。

『あら、まーやだ、また人殺しよ。こわいわねぇ~』
といっている間に、何か行動が取れるのではないのだろうか?

銃規制の問題も、猫の問題も私には全く同じなのだ。
アメリカでも沢山の人が銃規制のために動いている。
私も、拳銃が簡単に手に入る事は恐ろしい事だと、
特にテキサス似来て、ウォール●ートあたりで猟のためのライフルを見て
ぞっとしたのを覚えている。
動物愛護の観点からも、銃規制の観点からも、
私は猟というものに反対している。 

でもね、一つの政策を可決させたり、
変えていくためにはグログ上で語ったり
理屈を並べているだけじゃ何もかわらないんだ。

人間、中々それ以上のことはしない。
何故か? 
それは、ネット上で語ることは簡単だけど、
自分の足を動かして、体を動かして、頭を動かして
沢山の人に掛け合ったり、ロビーをしたりなんてことは
面倒だから出来ないだけなのだ。

『出来ない』という事には沢山の理由がつくだろう。
子どもが手が掛かるから。
学校が忙しいから。
そんな暇ないから。

つまり、結局は自分の大事な大事な時間を割いて
動いてみるほどの問題じゃないということ。
ブログで熱く語るくらいの時間はるけど、
それ以上の行動は取れないという事。

猫助けもそうなんだけど、
私は、そういう語っている時間があったら、
それを行動する時間使いたいと思う。

不言実行。
これを出来る寡黙な人達の言葉は重みがある。
だって、そこにはその発言を後ろ盾する行動があるから。
猫助けの友人も、ソーシャルワーカーとして
世の中を変えようとしている友人も、皆寡黙に、ただ動いている。
討論したとしても、決して言いっぱなしではない。
その自分の言葉を裏づけするように行動してる。
それも、人にひけらかすことなく、密かに行われている。

interracial1
結婚して10年以上も経つ私たちにとって、
自分達が所謂『Interracial couple (異人種間のカップル)』
なんだと深く考える事は殆どないと思います。
ふと二人で並んでいるところを鏡でみれば、その違いは見えるのだけど(^^)
普段の生活で、そういう違いを感じることは全くありません。
それでも、特に保守的なテキサスに越してきてからは、
比べてみるとリベラルなニューヨークに居た時とは違うと感じることもあります。
街中で、じーっとは見つめられることもあるし、
スーパーのレジなどで一緒に並んでいても、
夫と私は一緒ではないと思われ、別々にお勘定をしようとする人も居ます。

これは保守的であり、又保守的な宗教の空気の中では往々にしてありえる事です。
この人種間の関係は、ある意味日本よりアメリカの方が
未だDivide (分裂)されていると思います。

昨日の質的リサーチ方法論のセミナーのクラスで、
この『Race relations』を課題にして、
インタビューをしようという事になったのですが、
さてリサーチの被験者に行うインタビューでの質問を
クラス全員で査定していたのですが、
普段のカジュアルな会話の中での『人種問題』とはちがい、
プロフェッショナルな雰囲気の中での会話のなかで
とても全員正直な意見を交換する事もできました。
そして、どういう質問が被験者から正直な意見が取れるかなど
有意義な事を話し合えたクラスでした。
クラスは八人。
そのうち二人がアフリカン・アメリカン、二人がアジア人、
そして残りの四人がコケージアン(白人)でした。

自分達が育った環境で、家庭内でどういう会話があったのか、
親の意見が自分達にどう影響したのか、
もし異人種カップルを見たらどう思うか?
等々の被験者への質問事項が上がっていきましたが、
どれも客観的な意見なので、面白かったです。

公民権運動から未だ50年ほどのこのアメリカは、
まだまだRacial Divide(人種間の隔たり)が大きいのは確かです。
そう遠くない昔には、異人種間の結婚を違法とする法律もありました。
(カリフォルニアでは白人とアジア人の結婚を違法としていた事もありました。)

個人的には、そんな法律が廃止されていることをほっとしますし、
違う人種と一緒になったからこそ見えてきたことも多く、
『違う他者』を理解しよう、受け入れようという態度も育てられた気もします。
しかし、人間のなかにある『違う他者』への恐怖は
社会のなかでは、大きな問題への引き金になることも多々あるのですね。
アメリカは本当の意味でのMelting Pot(坩堝』となることは在るのでしょうか。
これも一つの大きな社会問題で、考える事が多いです。

この一ヶ月、一学期が終わってから、自分の中で色々なAwakeningがありました。
それは自分の足りない事への気付き、自分の未熟さへの気付き、
そして、そういう自分の負な部分が、実は誰よりも自分を苦しめていた事。
全て、幾人かの人との出会いで、気付いた事。
Spritualに成長する時って、時間の長さじゃなく、
ダダダダーっと起こる事が、過去にも多かった気がします。
というわけで、幾つか続けて、自分への備忘録を兼ねて書いています。

今日のお話は、『人を勝手に、そして簡単に推測で判断してはいけない』ということ。
先学期も、相手を決め付けて、○○な人と思っていたせいで交流が無い人も居ましたが、
お休み中にお話する事が出来て、そういう自分の推測の浅はかさも勉強しました。
これは、前々から私も気をつけねばと思っていることだし、

中々思っていても実行できない事の一つなのですが、
人を勝手に、一つの印象で判断したり、
一つの出来事で、『ふーん、こういう人何だなぁ・・・』と推測してしまう事。
これって、実は凄い損をしているんだと自分で思う経験も過去にも幾つかあったのだけど、
もっと心して直そうと、意識して努力している今日この頃。(^^)

過去に、二つほど勝手に推測して、後から全然違う人物像をつきつけられて、
『あわわわわ・・・』と思ってしまったことがあります。

一つは、私がとあるオフィスで働いている時に出会った
ビルの清掃のオバちゃん、Kさん。 もう10年以上前のこと。
お歳的には、このお仕事きついんじゃないのかな、
それでも働かなきゃいけない理由があるのかな、等と勝手に推測していた私。
とある時、お昼を一緒に食べましょうかという事になり、
一緒に外出した時、色々なお話を聞くことが出来ました。
なんと、彼女は大きなビルの所有者、それも東京のビジネス街。
ビル管理業も自分でちゃんとやりながら、
でも、もっと人様のためになることをしたい、人が嫌がる仕事がしたいと
お掃除のパートを始めたそうです。
私は勝手に、『お年をとっても働かねばならないで大変なんだ』と思い込んでいた。
そんな自分の勝手な思い込みにはっとしたことがありました。


そして、もう一つは、私が日本のとあるところを引っ越す直前の話。
ご近所に住んでいたTさん。
もう相当のお歳なのだけど、いつもお化粧をしっかりして、
お歳には見えないほど、身なりもきれいにお洒落をされていました。
私が引っ越すとしったTさん、道端で出会ったときに、こんな話をしてくれました。

『私って派手でしょ? いい歳して赤い口紅つけてって皆さん思ってらっしゃるでしょうね。
今までは、一々人が何を言おうが関係ないって思ってきたけど、
貴女がもういらっしゃらなくなると聞いて、本当のことお話したくて。。。。
私は、お化粧品を売っていますの。
できれば、この歳だからもうやめたいと思います。
でもね、私には痴呆ををわずらった姉が施設にいるんです。
その施設代を出すのは、私しかいないんです。
その施設代は到底私の年金じゃまかないきれません。
そして、そこで唯一私が得られた職が今の職なんです。
お仕事上、キチンとお洒落しなければなりません。
シーズンの新作も、それが派手でもつけなければいけません。』

確かに何も知らないご近所の人の陰口も聞いた事もありました。
そして、私もそうなんだ、派手な人なんだと思いこんでいたときもありました。
今考えると、つくづく人間って深くまで知らないで判断してはならないと思えます。

Do not assume!  勝手な推測で判断してはいけないのですね。
そんなことも、ここ一ヶ月考えることが出来た事の一つです。

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40を過ぎて、博士修行に挑戦中。
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