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この度ブログを引っ越す事にしました。
今までは、『公開』なしというとても閉鎖的なブログでしたが、(^^)
あまり特定した事を書かないようにして、公開ブログを書くことにしました。
個人的なことは、やはり心の知れた方との交流にてということで
Mixiのほうで楽しく皆さんとお話させていただいています。
ネットでも長くお付き合いしてきた方、Mixiのアカウントをお持ちであればご連絡ください.
ということで、新しいブログでは、
『猫と博士修行』の生活をつづって行きたいと思います。
リンクしてくださっているかたへは、後ほどご挨拶に伺います。
お手数ですが、リンクの張替えを宜しくお願いします。
新しいブログはこちらです。
http://gatosyyo.blog118.fc2.com/
これからも、宜しくお願いいたします。
普段出来ない事、普段中々会えないお友達との会食、
今まで始められなかった趣味、
などなど、沢山楽しい事がつまった夏休みでした。
といいながらも、この夏休みは本当に沢山の本も読みました。
図書館から借りた本は合計で25冊。
来年から始まる博士論文に向けて、
今から読んでおくべき三つのエリアに関するものばかり。
殆どが理論系統なのですが、ずっと上手くConceptuarize(概念化)
出来ずに居た事柄の勉強にとても役立ちました。
(ってとても抽象的な書き方ですが・・・)
人生のうちで勉強をする時って限られているのだけど、
今が一番勉強が楽しい時ですね。
勉強内容は大変だけど、
自分が興味があること、自分の専門の事を勉強できるって
そうそうあることじゃないのもの。
そして自分が今勉強していることが、
将来世の中のためになると思うと、
一段と勉強することが楽しくなる時期ではないでしょうか。
文字の上だけではなく、私が専門とする分野で実際に活躍する
知り合いの人達の近況も聞くことが出来て、
とても実りのある夏となりました。
働きづめだった時期。
病気で仕事すらできなかった時期。
そういう時期を通ってみて初めて分かる事がありました。
私一人ではここまでたどり着かなかったであろう事。
沢山の人の支えがあって、今の自分があるという事。
全ての辛い経験こそが、今の自分の周りへの『感謝』の気持ちをもたらしてくれた事。
自分が幸いにも沢山の人に支えてもらったからこそ、
今度はそれを世の中に返して行きたいと思えた事。
この『感謝』の気持ちをもっていれば、
大変な勉強も、充実した日々となり、
目標が達成できるのだと思います。
来学期も3クラスを取る予定です。
一つは他の学部の授業なので、新鮮味があって
これまた楽しみにしています。
そして、夏休み中に会えなかった遠くに住んでいるクラスメート達に
また再会できることも楽しみの一つです。
今日は学校で新入生のオリエンテーションがあったのですが、
その後、暫く会っていなかった韓国人のソーシャルワーカーである友人と会いました。
お食事して、おしゃべりしてあっという間に10時近く。
彼女とは年も近いし、プロフェッションも同じなので、
いつもお互いふと会いたくなる関係です。
彼女と会うと、帰り際にいつも『楽しかったなぁ~』と思うのは、
彼女が『話し上手』である事と、『聞き上手』であるという事に気がつきました。
ウィットに富んだ話と、人を笑わせるユーモアのセンスも持っている人です。
そして、特に何より聞き上手。
聞き上手になることは、私も何時も気をつけたいこと。
自分の主張ばかりをしないで、人の話を聞けるというのは、
その人に自信があるからでしょう。
魅力的に話ができるためには、先ずは人の話をちゃんと聞ける人にならねばね。
こういう勉強ができる友人がいることはありがたい事です。
逆に、私が人と話していても、それを遮るように割り込んで来るという
嫌な経験を、何度も繰り返されたことが最近ありました。
遮るというよりも、強引に遮って全く人に話させない。
余りにも子どもっぽいし、私に対しての競争心がそうさせているのだなぁ
と思って知らん振りを長い間していましたが、
実は、ほかの友人も、その人が人を遮って話をすることへの不快感があった事を知り、
これも又、ある意味で反面教師になるなと立ち止まって考えさせられました。
自分がこういう風に普段喋っていないか気に掛けるようになったし、
これだけは、ならべくしない様にと努力するようになりました。
そのもう一人の嫌な思いをした人は、メンタルヘルス系の人なのですが、
人を遮ってでも喋ってしまう人の心理を教えてくれました。
いつも、人を遮ってでも喋りたがるのは、
『自信の無さ』の現れだそうです。
相手が何かを言う前に、先に先制攻撃してしまおう。
相手に傷つけられる前に、自分が傷つけてしまえという心理だそうです。
つまり、劣等感がそうさせるのだそうです。
劣等感には良いものと悪いものがあると思うけど、
相手に不快な思いをさせることは、よい劣等感ではないと思えます。
人を遮るほどのキツイ喋り方を聞くと、一瞬『強い』ようにに聞こえるけど、
実はその真逆。 『弱い』から先制攻撃するのだそうです。
つまり、『強い』そして『自信がある』人は、聞き上手の人が多い。
アメリカ人というと、誰もがアグレッシブに話すと思われがちですが、
実は聞き上手な人も多いと思います。
彼らはアグレッシブとアサーティブの違いを、
日々の喋りの中で、きちんと区分けできているのが、
よーく聞いていると分かります。
英語を勉強していて日本人が陥りやすいのが、
『何でもアグレッシブに話す=アメリカナイズ』という罠。
よーく聞いてると、人を妨げてでも話続けようとするアグレッシブさは
アメリカでも、それほど頻繁には出くわしません。
大抵のマチャアなアメリカ人であれば、アサーティブには話すけれど、
マナーはきちんともって話す人が多いですね。
人とのコミュニケーションの仕方で、その人が見えてきてしまう。
話し上手で聞き上手な私の友人も、
人を遮ってまで話てしまうその人も、
どちらも自分がどうなのかを考えさせられる想いでした。
入学した年は、スカラーシップの申し込みに遅れてしまって、
もらえていたはずのものが貰えずに居たのですが、
今年は、授業料の殆どをカバーできるものを貰えました。
このまま卒業までいただけるようです。
お金云々のことよりも、とくに成績優秀者のみ頂けるものも頂けて
とても遣り甲斐のあるご褒美を頂けた気がします。
そして、前にも少し触れた六月のQualifying Examという
口頭での資格試験のときの事を、
数名の教授に、色々嬉しいコメントを頂きました。
それぞれの五教科に、そこに出席した六人の教授が投票するシステムで、
総合のポイントは、その掛け合わせた数30ポイントなのですが、
私は全ての教科に置いて、完璧な答えを出せたという事で、
30ポイント取れたということでした。
それは大変な事だったらしく、ここ最近学校であう教授陣に、
『素晴らしかった』といってもらえる事が何度かありました。
これもまた、本当にRewardingな瞬間でした。
この一年、本当に自分でも努力してきた甲斐があったと思います。
一年目が過ぎたところで、
これからのもっと専門分野の勉強に向かって、
色々指導をしてくれる教授陣を五人集めて、
Diagnostic Committeeを組むのですが、
私自身の専門に関係する教授を選ぶ事が出来ました。
二年生と三年生の人達に、この時期が実はとても大事だし、
ミーティング以外にも、色々なことで自主的にこの五人の教授に
アプローチしていく事は、その後の博士論文の時期に
影響するとアドバイスを貰いました。
近々初めてのミーティングをするのですが、
既にそれぞれの教授と個々にあって色々お話ができました。
その五人のなかの一人をCommitteeのChairとするのですが、
私は修士の時からしっている教授に決めました。
まだまだChairになってくれたばかりですが、
彼女は、本当にSupportiveでいてくれています。
そして、私のQualifying Examの教授陣の中にもいたのですが、
結果が出た後に、自分の事のように喜んでもらえました。
Chairとなると、職場の上司と部下という関係なので、相性も大事なんですが、
人間関係をスムーズに動かす智恵も大事なようです。
ベッタリChairに依存してしまうのも、相手が望んでいることではないのです。
特にPh.Dの生徒には、それを一番してほしくないと思います。
かといって、相手が連絡くれるまでPassiveにしていてもダメ。
そして、自分勝手に動いてもダメ。
勿論、仕事が片付いた時点で事後報告も必要。
本当に、仕事をしていた時のボスとの関係と同じですね。
久々に、こういう雰囲気が嬉しいです。
これから一年、この五人の教授陣から色々学べる事が楽しみです。
今月末まで秋学期が始まらないので、
色々な人に会いまくって、外食しまくってます。
今回は、最近知り合った韓国人とアメリカ人の友人と焼肉三昧。
韓国人が進める『カルビ(焼肉)屋さん』に行ったのですが、
美味しすぎだ・・・・・・・。
サンチュに巻き巻きして食べる韓国人。
ご飯と一緒じゃないと焼肉食べられない日本人(ワシです。)
屋内BBQなんて初めてだと感動するアメリカ人。(爆)
そして、食後は最近できた韓国のカフェ。
これが店内なんだけど、
日本の大人なカフェととても似ていて落ち着けました。
流石アジア人カフェ、サービスもとてもよかったです。
韓国の喫茶店って、どんなに長居してもいいらしいです。
コーヒー一杯で相当粘った私たちでした。(^^)
で、そこで盛り上がったのが、この前の日記で書いた『謙虚』ってことなんですよ。
というのも、『謙虚』と『本当の優しさ』が最近の私のテーマでもあって。
といっても、自分のプロフェッショナルにおいての謙虚さとは又違う話題なんです。
他人との関係においての『謙虚』さについて。
そして、三社間では、謙虚=下手に出るという解釈から意見が分裂。(笑)
人間偉ぶってはいけないし、かといって下手に出すぎると相手に勘違いさせるのでは
そういう会話が飛び交っていた。
三つの異なる文化を持つこのディベーター(笑)の意見の違いに大笑い。
韓国人は、とてもコンサバ:
『謙虚になる時は謙虚にするべきだし、
相手が頭の良いひとなら、こちらがわざと謙虚にして相手を立てている
ということにすぐに気がつくはずだし、
そういう事が分からなくて勘違いして、謙虚に出てるこちらをバカにする人は
あまり頭が良い人じゃないから、かわいそうな人だと思っていればいい。
特に年上の人には、謙虚でなきゃいけないわよね。
そして、優しさも同じ。 優しくしてあげて感謝できる人もいれば、
当たり前になったりするひともいえる。
優しさが分からない人は、やっぱりかわいそうな人と思えばいい。
だから、自分は変わらず謙虚でいればいい。』
そこにアメリカ人がキックイン!(笑)
『いやー、それじゃその人一生気がつかないよ。
最初は謙虚でいても、相手がこちらがわざと謙虚に下手に出てるなんて
気がつかない輩には、ガッツンと言わなきゃダメ。
じゃないと、いつまでもバカにされ続けるし
その人間の為にもならない。
それに人の親切を分からない輩もいる。
そういうのには、優しくする価値なし。』
なるほどねぇ~と頷きつづけた日本人の私。
これどっちも本当だと思うんだよね。
って、やっぱり私は曖昧な日本人?(爆)
でもね、最近思います。
下手にでてみたり、優しくしてみたりって、
それが仇になっちゃうことがあるということ。
相手が勘違いしてしまい、横柄な態度になってしまう事もあるんだよね。
それが当たり前になって、横柄な態度にでる人には、
それ以上優しくしなくて良いんだなって最近思います。
だから、私の考えは、韓国人とアメリカ人の中間。
偉ぶる事は無いけど、あまり謙虚にしすぎることもないんだなってこの頃思います。
うーん、このバランス難しいね。
『謙虚』と『傲慢』のハザマで色々考えます。(笑)
そして、相手によって、その使い分けもいいのかもしれないね。
こちらが下手にでたり優しくする行為を感謝してくれる人、
そして、そうでないひともいる
これを見極めて、使い分けするのがいいのかもしれないね。
ま、その見極めも、結局付き合ってみないと分からないんだけどね。
そして、私自身も、人に親切にされたり優しくされたら感謝の気持ちを忘れちゃいけないね。
人間って、困った時だけ人の優しさを求める事が多くて、
自分がその困った事から脱出すると、まるで一人で立ち直ったような気になって
助けてもらった事も、すっかりわすれちゃったりする。 そのほうが楽だからね。
私も意識していないと、そういう事をしてしまう事もあったのだろうと思います。
人は、『してあげる事』より『してもらう事』のほうが簡単だからでしょうか。
そして、自分に対して謙虚であってくれたり、
威張らず、否自分を低くして私を立ててくれる人が居たら、それを当たり前に思わず
Respectしなきゃいけないんでしょうね。
人がどうのじゃない、自分がそうやって生きていかねばと最近富におもいます。
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