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テキサスの空の下、猫の事、学校の事、家族の事。。。
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質的リサーチ方法論のクラスのグループプロジェクトで
インタビュースクリプトを書き下ろし、
それをNvivoというソフトで分析という事をしているのですが、
実際の課題は別として、このインタビュー内容が色々考えさせられた。

インタビューしている相手は色々な人種。
それぞれの異人種間の問題を垣間見る。

その中で、いくつか『逆人種差別』という項目があった。
これは、学校のプロジェクトだからこそ、
感情を抜いて冷静に話せるのだろうけど、
中々難しい話題だと思う。
でも、それぞれのトランスクリプトから、自分しらなかった
他の人種の人達の本心が垣間見れて、とても良い勉強になった。

この話とはちょっとずれるのだけど、
先日白人の男性と結婚しているアフロアメリカンの女性と色々なお話する機会があった。
私と彼女の共通点はズバリ『異人種間結婚』。
とても共感する事が多かった。
特に、自分が何処に属しているのか分かりづらくなったことや、
白人からだけではなく、自分の人種であるアフロアメリカンからも
『自分も白人になったつもり?』
というような事を言われる事があるという。

うーん、そこまでハッキリとは言われた事は無いけど、
(でも、これ言われたらアイタタタタタって感じでしょうね。(--;)
 結構傷つく言葉かもしれないです。)
似たような経験は沢山私にもありました。
正しく、居場所がなくなってしまう感覚を味わった事があります。
自分は、その一人の人間が好きで、その相手が偶々異人種だったということ。
それでも、自分のエスニックグループからは、
そうはとってもらえないジレンマが在ることは確かかもしれないですね。

逆に白人女性でアフロアメリカンの男性と結婚している人も知っていますが、
これまた逆人種差別があると聞きました。

しかし、異人種間での結婚でのアドバンテージは、
何よりお互いの人種への理解が進むという事。
つまり視野が広くなるという事。

私の夫は、アメリカでは一番ラッキーとされる
所謂『白人男性』であり、人種差別という事は知識ではあったけど
本当のところの辛さは分からなかったと思います。
が、彼は私と結婚した事で、人種差別を実感する事が出来た。
自分の妻が差別されることで、色々なものが見えてきたと思います。
彼は、私と言う人間を理解するために、
アジア人への理解を深めようととても努力した人だと思います。
だからこそ、私も夫の人種を理解しようと思えたのかもしれません。

私は、夫だけではな周りのほかの白人からも色々学びました。
白人という人達の中に逆差別を経験する人、
そして、良識のある白人達は、
他人種に、いつも自分達が変なことを言ってしまわないか
変なことをしてしまわないかという緊張感をもちつづけているという事。
そして、昔々自分達の祖先が犯した色々な人種差別に関する事件、
ネイティブアメリカンがこの国の先住者だった頃からの事を、
自分達が直接したことではないのだけれども、
それが話題になるごとに、申し訳なく思わなければならない事。

でも、私がこういう白人の話をすれば、
先に話した黒人女性のように、『自分まで白人になったつもり?』と
思われはしないかという恐怖心も在るのも確かです。
ただ、異人種結婚したからこそ、二つのカルチャーを近くで見ることが出来るからこそ
その両方の人種の人々に、それぞれのことをInformしたいと思っています。

今現在、アジア系へのバッシングが始まるのではという危惧があるなかで、
そうだからこそ、毅然として、異人種たちに自分達の事を
決して感情的にならずに、冷静に、問いかけ続けていくべきなのだと思います。
ネガティブな事にネガティブでリアクトしても良い結果は出てこない。
こういう時だからこそ、凛として、自分も相手もリスペクトできれば
それがベストなんだろうと思います。

最近、何だかこのInterracial relations関連の話題が
周りで起こることが多いですね。
多分、来週学校でもそういう話になるのだと思います。

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今回の事件で、アジア人学生の間に緊張が高まっている。
実際私も学校に言った時、そのことが頭を掠めていた。

グループプロジェクトの集まりがあったので、
早めにPh.D.ラウンジに行くと、
既にアメリカ人生徒のJ と L、そして韓国人生徒のSが来ていた。
空気は重いものではなく、その逆に何だかそのことには
触れてはいけないようなハイパーな空気が双方から流れていた。

私も暫く皆でプロジェクトの仕事をこなしながら、
授業が始まる前に四人で軽く夕食を食べに行こうと話し出す。
四人で私の車に乗り込んだ直後、私はカジュアルに切り出した。

『いやー、S達韓国人留学生は昨日から大変だったんじゃないの?』
できるだけ軽い感じで聞いてみる。
するとSもせきを切ったように、

『そーなの~、何だか悲しい事件だし、
 この事件には色々な多面な要素が入り組んでいて。。。
 犯人が韓国人だって事はショックで。。。』

と彼女がそこまで言うと、J と Lがすかさず、

『気にしちゃダメよS! メディアはおかしいわ。 
 だって、犯人は小さいときにこっちにきたわけで、ステイタスがどーだとしても
 移民の一人と変わりないのに。
 中には留学生だとか、外国人だとか強調しちゃうメディアがいるのよね。
   分かっている人は分かってるから、Sは気にしちゃダメよ!』

Ph.D.だから大人が多いので、そうなるだろうとは思っていたけど
中々頼もしいクラスメートだと胸をなでおろす。

その後授業中、グループワークをしていた時に、Sの携帯が鳴りっ放し。
Sがいうには、韓国の大げさな報道で、
韓国に居る友人たちが彼女の安否を気にしているらしい。
このどは、それを聞いたSBが、
『心配すんな! 俺たちはRetaliation(報復)なんかしないって友達にいっておきな!』
とちょっとブラックな、でもこういう空気が重い時にはとっても助かるジョークをとばして、
クラスが大笑いになった。 
この大笑いのなかで、韓国人Sも緊張がほころんだ顔をしていた。

今学期になって、私たちクラスメートは結構結束が強くなったのだけど、
英語で苦労しているSにも、本当に感心するほど
手を差し伸べてくれていたアメリカ人生徒。
彼女のペーパーの英語を手直ししてあげたり、
彼女が自信を失いかけている時も、励ましてくれていたり、
同じアジア人留学生として、見ていてホノボノする光景だった。

メディアには、大げさな誇張された部分しか出てこないと思う。
それはアメリカ側も韓国側も、いや日本のメディアでも。
クラスの皆も、そういうメディアに惑わされない事の重要性がわかっていた。

今回の問題は、一つの事柄だけを見つめて解決するものではないと
韓国人のSも、他の生徒たちも色々考えを述べていたけど、全くその通りだと思った。
今回の事件のうしろには、Multifacetedな問題がうごめいている。
私のクラスでは理解のある大人が多かったけど、
そうじゃないところも多いと思う。
この事件がきっかけでアジア人へのイメージはどう変わっていくのだろう。
Hate crimeが起こらないことを祈ってしまう。

アメリカのヴァージニアの事件につづき、
今度は選挙戦の真っ最中、長崎の市長が
街中で銃で撃たれるという事件が続く。
そこにうごめく、それぞれの社会の歪が見えてくる。

ヴァージニアテックの犯人は殆ど韓国人学生と判明している。
八歳のころにコチラに移住してきたという。
学校では友達もいなかったという話まで掲載されていた。
メディアが騒然としてこの話題でもちきりだ。
何処までの話が本当なのか、見極めるまで時間がかかる。
こういうニュースほど、すぐリアクトしてしまいがちだけど、
もっとじっくり、その事件の本質を見てみたい。
それから、事実を踏まえて色々私も考えたいと思う。
今は余りに憶測で沢山の事が語られすぎだ。

早速ネットでは、銃規制の件、
そして今度はアジア人への偏見、
その上、留学生への色々な意見がアメリカ人側から出ていたりする。
(彼は留学生ではなく、移民の子らしいが、
 ここらへんも、事実を把握することなく無責任に語られるのは怖い)
一人の韓国人学生が起こした事件が、
この先どういう方向へと変わっていくかが気がかりだ。

今日のクラスで韓国人の友人、アメリカ人の友人とこの話になるはずだ。
なにせ、質的リサーチ方法論のグループプロジェクトで
『Racial relations』の総纏めなのだ。
韓国人の友人は、余りに偶然だが
アメリカ人生徒に反発を感じる韓国人生徒の意見のインタビュー結果
を持ってくることになっている。
皆、それぞれに感情を抜いて討論できる大人ばかりなので
冷静に色々、今回の事件も含めて話ができるだろう。

何時もこういう時に思うんだけど、
大事な事は、討論するだけの事じゃないということ。
語るだけじゃ何も出来ないという事。
カーっと、瞬間湯沸かし器みたいに事件にリアクトしてしまい、
まだまだ事件の本質をつかめる情報が無いまま感情論で語られる。

ブロガーたちは、語るだけどころか、
何時ものようにまた時間が経つと、『言いっぱなし』状態で
そのことは忘れたかのようになってしまう。
ここの所ネットでよくみるマスヒステリア。

猫助けのときも何時も思うんだけど、
『語る』ことは誰でも出来る。
ましてや正々堂々と実名をだしての討論ではなく
匿名のままの討論。
『言いっぱなし』というかたちになっても責任はない。

『語る』ことは、場所があればだれでもできる。
ましてやネットであれば、クリック一つで全世界へ語れてしまう。

ただのComplainerになるのは簡単なのだ。
その真逆で、色々な社会問題を一言も語ることなく
黙々と行動して、何かを変えようとしている人を沢山知っている。

『あら、まーやだ、また人殺しよ。こわいわねぇ~』
といっている間に、何か行動が取れるのではないのだろうか?

銃規制の問題も、猫の問題も私には全く同じなのだ。
アメリカでも沢山の人が銃規制のために動いている。
私も、拳銃が簡単に手に入る事は恐ろしい事だと、
特にテキサス似来て、ウォール●ートあたりで猟のためのライフルを見て
ぞっとしたのを覚えている。
動物愛護の観点からも、銃規制の観点からも、
私は猟というものに反対している。 

でもね、一つの政策を可決させたり、
変えていくためにはグログ上で語ったり
理屈を並べているだけじゃ何もかわらないんだ。

人間、中々それ以上のことはしない。
何故か? 
それは、ネット上で語ることは簡単だけど、
自分の足を動かして、体を動かして、頭を動かして
沢山の人に掛け合ったり、ロビーをしたりなんてことは
面倒だから出来ないだけなのだ。

『出来ない』という事には沢山の理由がつくだろう。
子どもが手が掛かるから。
学校が忙しいから。
そんな暇ないから。

つまり、結局は自分の大事な大事な時間を割いて
動いてみるほどの問題じゃないということ。
ブログで熱く語るくらいの時間はるけど、
それ以上の行動は取れないという事。

猫助けもそうなんだけど、
私は、そういう語っている時間があったら、
それを行動する時間使いたいと思う。

不言実行。
これを出来る寡黙な人達の言葉は重みがある。
だって、そこにはその発言を後ろ盾する行動があるから。
猫助けの友人も、ソーシャルワーカーとして
世の中を変えようとしている友人も、皆寡黙に、ただ動いている。
討論したとしても、決して言いっぱなしではない。
その自分の言葉を裏づけするように行動してる。
それも、人にひけらかすことなく、密かに行われている。

政策分析のクラスの課題の一つに、
政策関係の本を読んでブックレビューを書き、それが良い出来上がりであれば、
関連のあるジャーナルに投稿するというものがあったのですが
私はこの本を読んでみました。

アカデミックなブックレビューは学校の方ですませているので、
こちらではカジュアルにお勧め本として書いてみたいと思います。

政策立案者にだけではなく、一般の人にも分かりやすく書かれています。
移民への強い弁護の論調がとても目立つ本ではありますが、本当に面白かった。 
所謂Nativist(移民を嫌う人達の事ですね)達の移民が増える事への反論への反論。
それも、とても正確で幾つものレイヤーが敷かれている、感情論ではない、
統計結果をバックにしての反論なので、読んでいて安心できるものですね。
説得力がある本なので、是非Nativistたちに一番読んで欲しいかも。

昨今のNativist達が槍玉にあげている代表的な事柄は、
バイリンガル教育の是非、
そしてUndocumented(違法)移民のソーシャルセキュリティー問題。
どれも一括りでは語れないのだけど、著者であるPortes と Rumbautの歯切れの良い
分析結果のディスプレーは、移民の一人である私的感情も含めて(^^)
読んでいて気持ちの良いものでした。
300ページを超えるものですが、あっというまに読み終えることが出来ました。

Social Workのみならず、SociologyやEthinic Studyがメジャーの人にはお勧めの一冊です。
一様Referenceを記しておきます。

Portes, A., & Rumbaut, R. G. (2006). Immigrant America: a portrait 
      (3rd ed.). Berkeley and
Los Angels: University of California Press.



今年もOutstanding Academic Achievementsを頂くことになり、
来週のセレモニーに出席する事になっているのですが、
何だか修士の時ほど喜びが少ない。。。。
何でかなぁって考えてみたんですが、
ここまでくると、成績が良いとか悪いとかだけじゃないものの重要さを、
日々身にしみて感じさせられる事が多いのです。
それよりも、良い成績をとり続けるプレッシャーは今要らないものになってきている。
勿論最低限(B)の成績はとらなければいけないけど、
そういう事じゃなくって、もっと深い部分での『学び』を味わいたいと真剣に思っています。 
成績がよくたって、本当に自分が吸収すべきものを全て吸収しているか
これを日々考えています。 
良い成績をとり続けること以上に、もっとしなきゃいけない事がPh.D.には多い。
そして、ここで得られた知識を、どうやってその後周りのために活用するのか、
もっとそういうことに気持ちを揺さぶられるようになっています。
外部のセミナーやカンフェランすにも沢山出席したい気持ちも増しています。

 


この家に越してきてもうすぐ丸二年。
バックヤードを、自然の動植物が生息する場所にしたいという
我が家の『Natural Habitat Project』 は年々着々と進んでる。
というか、殆ど夫ちゃんがやってますが。(^^)
全員がというわけじゃないだろうけど、
アメリカの夫達は、本当に土日もマメに家周りのことをやる人が多いです。
我が夫ながら、本当に関心してしまいます。 ま、好きなんだろうねぇ。
ゲートやら敷石やら、新しい木を植えたり、そしてワイルドフラワーの種を撒いたり。

この塀からこちらは普通の芝生を敷き詰めたバックヤードで、
向こう側が、我が家の所謂Natural Habitat。
二年前から撒いてきたワイルドフラワー達の種は今年は一気に咲き出した。
ワイルドフラワーは咲くまでに数年掛かるって聞かされていたのでとっても嬉しい。 
この写真のおくの林も我が家のバックーヤードの一部なのだけど、
この中に、いろいろな動物が生息しているもよう。(^^)
野生の動物が居場所をなくさないように、というのが目的なので
正しくその名の通り、『Natural habitat』と化していて、これまた嬉しい。
今現在は、カモ、ウサギ、アライグマ、ボブキャット、そしてスカンク(^^)が住人。
backyard20071.JPG
















これはNatural Habitat Area のクロースアップ。
小さい花たちが見えるかな?
backyard20073.JPG
















これはインディアンペイントブラッシュ。
backyard20074.JPG
















この名前は分かりません。(^^;)
backyard20075.JPG















これはワインカップ。
どれも本当に可愛い可憐な野の花達。

このバックヤードに出てくると、何だか時間が止まったような
なんともいえない癒しの空気が流れている事に気がつく。
勉強に疲れると、ここでお茶を片手に一休みする。
これもやっぱり夫ちゃんに感謝できる時間だね。
そして、この自然が豊富な場所で、二人でしっとり歳を重ねていく事が出来るのは
何よりもの宝物かもしれないね。
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40を過ぎて、博士修行に挑戦中。
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