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テキサスの空の下、猫の事、学校の事、家族の事。。。
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何だか気が緩みすぎています。(^^)
結構自分の時間が取れるくらい、心の余裕が出来てきたので
チャールズと買い物に出たり、お茶しにいったりする週末です。
最近はまっているお茶するところは、La Madeneine。
http://www.lamadeleine.com/
フレンチカントリーのベーカリー・ビストロという感じです。
アメリカで、初めて『シュークリーム』が美味しいと思ったお店。
(それでも、トップに乗っかった溶かし砂糖がToo muchではありますが・^^)
ここの、『Caramel Cream Puff』。 こちらはシュークリームをクリームパフと言うのですが、
これが美味しい! ボトムにカスタード、トップはホイップクリームにキャラメルソースが入ってる。
ここはお食事も美味しいし、気軽な感じで入れるのがいいですね。

一学期目の成績が出た後に、よく頑張りましたという事で
チャールズが新しい机をIKEAで買ってくれました。
今までの机は手狭な上に、猫達がワンサカ乗っかってくると(^^)
ちっちゃくなって勉強してたので、
どうしてもL字型の机がほしいなぁと思っていました。
湖を望む窓を前に置いてみました。
(既に猫様方に占領されております。笑)
newdesk5.JPG










この机を買ったときに、最初の写真にあるフロアラグ(コーリーが寝てます・^^)
が大安売りで売っていました。
これ、何と3ドル90セント! 思わず数枚纏め買いしちゃいました。
とってもお洒落で、洗面所の足ふきにぴったり☆
こういう足拭きって何枚あってもいいですよねぇ。
日本のIKEAにも売ってるかな。

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幾つか上の学年の数人に聞いても、
Ph.D.に入ってからのクラスのコンペティティブな雰囲気は同じだそうです。
その原因の一つに、プログラムの厳しさがあるのですが、
ただの厳しさというと説明が足りない気がします。
それは、どの学問・学校だって、どのプログラムだって厳しいはずですから。

その一つの説明として、
ソーシャル・サイエンスの現在の位置です。
ソーシャル・サイエンスは、ソフトサイエンスの一つであるということ。
ソフトサイエンスはコンプレックスサイエンスとも呼ばれ、
物理や化学などのハードサイエンス、またはシンプルサイエンスと比べて
研究室に篭って行うリサーチではなく、
日々の人々の環境や心理をさぐっていくもの。
そのソフトサイエンスの中でも、ソーシャルワークの研究はまだ歴史が浅い
という位置を踏まえて、アメリカの高等ソーシャルワーク教育では
その位置の向上を図る為に、また確立するために、
現在、特にPh.D.のプログラムを厳しくしようという動きの真っ只中にあるという事。
簡単にいうと、これが一段と厳しいプログラムだと現在言われている理由です。

そして、もう一つの説明。
ネットでも多くの人々や、実際Ph.D.を既に取った人達の間からもよく聞く言葉なんですが、
所謂Academic Bullying(高等教育いじめ)。
というと、とても聞こえが悪いのですが、これには勿論皮肉った表現も入っています。
実際のいじめという事ではありません。(^^)

どんなに修士で優秀な生徒であったとしても、その絶対無理だと想うほどの勉強量、
そして勉強内容、試験の内容などは、息切れがしてしまう程です。
それこそ、もーこれ以上いじめないでぇ~と言いたくなるほど。(笑)
その中にいると、必然的にコンペティティブに成ってきてしまうわけです。
勿論、やる気の無い人達を振るい落とすという理由も多少はあるのですが、
ずっと私もそうだろうと思っていたこと、そしてAcademic Bullyingと
呼ばれしまう理由に、率直に、ある意味余りにオープンに、ある教授が
語ってくれました。 これには本当に頷くばかり。

彼女、いきなりこんな事を言い出したのです。
『Do you know why we are so mean to you guys?』と。
(私たちが貴方たちに何でこんなに意地悪かって知ってる?)
彼女がつけた説明は、私がずっと想っていた事だし、
幾つか前の日記にも書いた、『Learn to be humble.』と同じ説明でした。

『一つに、リサーチャーになるならば、
 自分の研究結果を”絶対”と”断言”してはならない。
 自分の研究結果に謙虚でなければならない。
 そして、博士と呼ばれる人間になるのだからこそ、
 勘違いしてしまってもいけない。
 特別偉い人になるわけでもない。
 そして、私たちが勉強したり、研究したりする知識は、
 聞かれてもいない場所で、人にひけらかすためのものではなく、
 その知識を社会向上のためにDisseminate(普及)させるためのものだ。
 貴方たちに、勘違いして傲慢になって欲しくないからこそ、
 私たちは貴方たちに敢えてMean(意地悪)にしているわけだ。』

と言っていた。 つまり、『博士』というタイトルに酔いしれたり、
勘違いしてしまいやすい私達人間の鼻をへし折る為にという事だろう思います。
思わず私は『I knew it!』と口ずさんだのだけど、本当に彼女の言うとおりだと思いました。 
そして、この聞こえは悪いが、
所謂Academic Bullyingを真正面から受けなければいけないと思いました。
教授たちも、そんな嫌われ者には誰もなりたくないでしょう。
それを、私たちのために敢えてやってくれているわけです。
人間は、どうしても自分の居心地の良い所にいたいし、
耳障りなことより、自分の耳に心地の良いことだけ言う人と一緒にいたい。
でも、それは果たして自分のためになっているのでしょうか?
敢えて悪者になったり、厳しいけれど苦言を呈してくれる人がいるという事は
何とありがたいことなのだろうかと思います。

特に、人の心を研究するという在る意味神聖な仕事に
『謙虚さ』は欠かして居はいけないのだと思いました。

sannyanmado

続けて日記書いてます。(^^)
ってことは、暇だってことでしょうか?(爆)
そんな事言ってるのも今のうちか・・・・。

ここの所、自分の中で気付きが多くて、熱く語り続けてきましたが、
今日は一休み。(^^)
キジトラ三兄弟の面白い写真が取れたのでアップ。

外の壁にリスが這い登っているのを必死に見つめている三匹。
この猫背がたまらんのです。(ま、猫だから猫背は当たり前なんだけどね・爆)

ここの所つれづれに書いていますが、自分の中の変わらねばならない部分が変わって、
負な部分をポジティブな方向へと変えたことで、
まったく周りの人々や空気が変わったり、
困ったなぁという事があっても、それを解決してくれる事がすぐ起こったり、
なんてちょっと不思議な体験をしています。
って、これは不思議な事じゃなくって、因果は巡るっていう当たり前の事なんだけど。(^^)

私が通っているカイロのおじいちゃん先生はとてもスプリチャルな人なんですが、
彼も、日本でいう『言霊』というような事を、偶然先週はなしてくれました。
(これも、偶然ではなく、私の考えがポジティブに変化した事で起こった必然)
彼は、絶対ネガティブな言葉を使わないようにしているそうです。
例えば、『Hate』という言葉。 そして、患者さんの予約を受けるときも、
『はい、じゃぁ二時に○○さん入れときますね。』という表現をするときの、
『Put you down』という言葉は絶対使わないそうです。
Put downという言葉のネガティビティーを使いたくないそうです。
彼も、言葉からでるエネルギーは回りまわって自分に返ってくると言っていました。

話を元に戻して。(^^)
これは私だけではなく、一学期目の最後の頃、クラスの中には負のエネルギーが蔓延。
人が一人、二人と減っていく中、サバイバル的な空気になっていったからでしょうか。
私もその空気に飲み込まれていった一人でした。
皆成績優秀で生きてきた人ばかりだったので、周りが皆敵に見えてしまったのでしょうか。
それは一つのことが原因ではなく、いろいろな事が重なったのだと思います。
クラスのなかでは、沢山の隔たりが出来てしまっていました。

でも、お休み中にお話した人も居たけど、学期が始まってからも他の人達と、
自分が一学期目に感じたことを正直にお話してみました。
そうすると、彼らも同じことを感じていたって。
お話できた事も原因だけど、何より私が変わった事で、私の周りの見方も変わったし、
周りの人達との関わり方も変わったからでしょうか、
今学期は、先学期と全然違う雰囲気でクラスが和やかです。
『サバイバー』としての絆もできたのかな。(^^)

いつも無口だった遠いところから通っているデュカプリオ君(似てるんです・^^)。
学校の階段で会うや否や、
『ヘイ、リエル! お休みどうだった?
今学期からはパートタイムじゃなくって、キミと同じフルタイムだから宜しく!
仕事はやめられないから、フルからパートタイムにしたから、まだきついけど。
勉強会もできたらいいね。』
と明るく声をかけてくれました。 
彼は無口ってこともあるけど、一番優秀なんだろうって噂されていた子。
その彼が、『成績も思った程の成績が取れなかったんだ、でも頑張る』という事も
さらっと言いのけたんですね。 
その爽やかさに、是非頑張って欲しいと心から思いました。
小さい子どもを二人抱えて、奥さんも学生さん。 大変だと思うけど、
その頑張りは必ず花が咲くと思います。
皆、虚栄を張る時期は通りすぎたんだね。
そういう私も、肩の力が落ちていたから、相手も話かけやすかったのかな。(^^)

そして、少ない外国人生徒として、先学期も頑張っていたクラスメート。
彼女は、母国でリサーチャーを既にしていたので、
リサーチ方法論や、統計が得意な子。
私は、ずっと彼女は鼻高々な子なんだって勝手に思い込んでいました。
そう思った私も、きっと彼女に冷たくしていたんだろうなって、今思えばわかるのです。
その彼女の本心を、ふとした会話からうかがい知ることが出来ました。
英語、とくに『喋る英語』がとても苦手で、その上その英語でのプレゼンテーションは、
口から心臓が飛び出してしまうかと思う程緊張していたって。
その自分の苦手な部分をカバーしたいがために、
統計や、リサーチ方法論という、外国人でも頑張れる部分で頑張ろうと思っていたようです。
英語がちゃんと喋れないのに、何で博士課程にいるのかな?
博士課程ちゃんと卒業できるのかな?的な目で見られたこともあったようでした。
そして、その反対に彼女は『アメリカ人=英語が喋れても、数学のレベルが低い』という事で
自分の心のバランスを取ろうとしていたようでした。
でも、そういう事じゃないって気がついて、
別に自分の英語が上手くしゃべれなくても、それはそれでいいって思えるえるようになったらしい。
相手の悪いところを見てホッとするんじゃなく、
お互いの良いところを認め合えるのが一番だって。
そうしたら、変に片意地はらなくて楽になったらしいです。

私はその逆だったんです。
英語のプレゼンは得意な方だし、ディベートも大好き。 
(特にアメリカ人やり込めるの好きかも・爆)
でも、数学計が苦手。
彼女が言うには、そんな私が外国人なのに堂々として自信満々に見えたそうです。
(歳の功で、ずうずうしいともいうんだけどね・爆)
近寄りづらかったって言われました。(ToT)
何と、私は彼女が鼻高々に見えたのに、
彼女は私が鼻高々に見えたのでしょうか。。。。
つくづく、『人がどうのじゃない、自分やな』と思い知らされました。

皆、得手不得手があってあたりまえ。
喋る英語がヘタだからって、博士になれないなんておもわない。
統計が苦手だからって、博士になれないなんて思わない。
新しい統計の先生も、苦手で結構、でも『努力が大事』というような事を言っていました。
そして、クラスメートが、それぞれの得意な部分をお互いに協力しあって助けていくべきだと。

『私もOK、 貴方もOK』という態度ではないと成功しないのだとつくづく思いました。
その逆の、自分を肯定するために、相手を否定する。
これは、大きな意味での『成功』や『幸福』にたどり着けない要因となってしまうだろうと。

そんな風に、自分が変わってから、周りのクラスメートとの交流ももっと深くなった気がします。
なんてことを考え出して、前向きに頑張ろうって思え出してから、また新しい出会いもありました。
今年の高等統計のクラスには、去年までのようにクラスの外でのTutor的な人が居ないと分かり、
うーん、こりゃぁどうやって苦手な事を超えていくか?と考えながらPh.D.ラウンジに行くと、
今まで会ったことの無い、もうすぐ卒業だという女性と出会いました。
何時も混んでいるラウンジも、そのときだけは二人だけだったので、
色々お話をしていくうちに、彼女が統計がとても苦手だったこと、
そして、でも苦手だからこそとても努力して頑張ったことを話しだしました。
私も余り得意じゃないけどというと、
行き成り鞄からプラナーを出して、メモに何かを書き出し私に差し出しました。
そこには在る人の名前とE-mailアドレス。
『このひとは、ダラスではダントツの数学の天才よ。
 私のTutorだったの。 
 私が紹介するから、是非貴女も彼にTutorしてもらいうといいわ。
 私が、今統計が得意になったのは、この人のお陰』
ラウンジに入るまで、『高等統計』の勉強方法を悩んでいた直後のこの出来事。
ちょっと鳥肌たつほどでした。

そとにポジティブなエネルギーを向けると(人を良い方に理解しようとしたり)、
ちゃんとポジティブなことが起こるんだと、だれかが見せ付けてくれたような。
不思議な体験でした。
彼女は就職先も決まりかけているようで、『おめでとう、がんばってね』と
私から又ポジティブな言葉のお返しをしました。

自分が変われば、周りも変わる、そんな体験をここの所立て続けにしています。

今日二つめの備忘録。 矢継ぎ早に思ったことを書き留めています。

Humble という言葉には結構ネガティブなイメージの語訳をするときもあるんだけど、
使い方によっては、『謙虚』という良い意味で使われる事も多いです。
アメリカ人に『謙虚』なんて言葉は無いと思う事は多いけど(^^)
そうでないアメリカ人も中にはいます。
経験が深かったり、知識が深い人ほど、『謙虚』さを行動に移す人は多いと思います。
その反対に、何も知らないからこそ、勘違いして偉ぶる人も確かにいます。
自分が習ったばかりの真新しいありったけの知識を並べて、
『どうだ!』と虚栄をはりたがる人もいる。
それは、見てる人も分かるので、痛々しい気分にもなる。
自分にもそういう時期が確かにありました。 若気の至りとしか言いようが無い。(--;)

私が博士課程にはいって一番の勉強になったことは、Learn to be humble. という事。
学校のとある教授、そして最近出会った他の分野でPh.D.をもっている人の両者が
この私の考えに、大きく頷いて、Wellcome to Ph.D.と言っていました。(^^)
知れば知るほど、自分が知らない事の多さに圧倒されるので、
もっと学ばなければ、もっと学びたい!と謙虚な気持ちが増えてきました。

学部長だったある教授も、先学期にこんなことを言っていました。
『自分が何が苦手なのかを認めて努力する人のほうが、
自分が何が得意なのかを誇示して虚栄をはるひとより遥かに成長できるはず。
それは博士としても、そして人間としても。』
というような事を言っていた。

まだまだ自分には知らない事が沢山。
そう思うとワクワクしてしまうのは私だけでしょうか。

今学期のクラス、三つともいろいろな意味でワクワクしています。
先学期の中級統計に続く高等統計のクラスでは、もっと概論的なことも学べる。
質的リサーチ方法論のクラスでは、これを教えるには新しい教授なんだけど、
試験はなくて(←これが一番うれしいかも^^)、目新しい課題が多いし、
質的リサーチ専用の新しいソフトウェアも学べる。
社会政策分析のクラスは、前から好きなSubjectでもあったし、興味があること。
でも、もっと詳しく掘り下げていくクラスであるし、
私がPh.D.に入ろうとした一番の動機に、とある社会政策への疑問があったんです。
それを掘り下げていけることが楽しみです。 
全て新しい事、自分が知らない事を学ぶのだから、新しい発見も多いはず。
新しい、自分が知らない事を学べるって、ありがたいことだし、
自分をもっとHumbleにしてくれるのですね。

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