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テキサスの空の下、猫の事、学校の事、家族の事。。。
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この一ヶ月、一学期が終わってから、自分の中で色々なAwakeningがありました。
それは自分の足りない事への気付き、自分の未熟さへの気付き、
そして、そういう自分の負な部分が、実は誰よりも自分を苦しめていた事。
全て、幾人かの人との出会いで、気付いた事。
Spritualに成長する時って、時間の長さじゃなく、
ダダダダーっと起こる事が、過去にも多かった気がします。
というわけで、幾つか続けて、自分への備忘録を兼ねて書いています。

今日のお話は、『人を勝手に、そして簡単に推測で判断してはいけない』ということ。
先学期も、相手を決め付けて、○○な人と思っていたせいで交流が無い人も居ましたが、
お休み中にお話する事が出来て、そういう自分の推測の浅はかさも勉強しました。
これは、前々から私も気をつけねばと思っていることだし、

中々思っていても実行できない事の一つなのですが、
人を勝手に、一つの印象で判断したり、
一つの出来事で、『ふーん、こういう人何だなぁ・・・』と推測してしまう事。
これって、実は凄い損をしているんだと自分で思う経験も過去にも幾つかあったのだけど、
もっと心して直そうと、意識して努力している今日この頃。(^^)

過去に、二つほど勝手に推測して、後から全然違う人物像をつきつけられて、
『あわわわわ・・・』と思ってしまったことがあります。

一つは、私がとあるオフィスで働いている時に出会った
ビルの清掃のオバちゃん、Kさん。 もう10年以上前のこと。
お歳的には、このお仕事きついんじゃないのかな、
それでも働かなきゃいけない理由があるのかな、等と勝手に推測していた私。
とある時、お昼を一緒に食べましょうかという事になり、
一緒に外出した時、色々なお話を聞くことが出来ました。
なんと、彼女は大きなビルの所有者、それも東京のビジネス街。
ビル管理業も自分でちゃんとやりながら、
でも、もっと人様のためになることをしたい、人が嫌がる仕事がしたいと
お掃除のパートを始めたそうです。
私は勝手に、『お年をとっても働かねばならないで大変なんだ』と思い込んでいた。
そんな自分の勝手な思い込みにはっとしたことがありました。


そして、もう一つは、私が日本のとあるところを引っ越す直前の話。
ご近所に住んでいたTさん。
もう相当のお歳なのだけど、いつもお化粧をしっかりして、
お歳には見えないほど、身なりもきれいにお洒落をされていました。
私が引っ越すとしったTさん、道端で出会ったときに、こんな話をしてくれました。

『私って派手でしょ? いい歳して赤い口紅つけてって皆さん思ってらっしゃるでしょうね。
今までは、一々人が何を言おうが関係ないって思ってきたけど、
貴女がもういらっしゃらなくなると聞いて、本当のことお話したくて。。。。
私は、お化粧品を売っていますの。
できれば、この歳だからもうやめたいと思います。
でもね、私には痴呆ををわずらった姉が施設にいるんです。
その施設代を出すのは、私しかいないんです。
その施設代は到底私の年金じゃまかないきれません。
そして、そこで唯一私が得られた職が今の職なんです。
お仕事上、キチンとお洒落しなければなりません。
シーズンの新作も、それが派手でもつけなければいけません。』

確かに何も知らないご近所の人の陰口も聞いた事もありました。
そして、私もそうなんだ、派手な人なんだと思いこんでいたときもありました。
今考えると、つくづく人間って深くまで知らないで判断してはならないと思えます。

Do not assume!  勝手な推測で判断してはいけないのですね。
そんなことも、ここ一ヶ月考えることが出来た事の一つです。

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心が安らぐと書いて安心。
私が博士課程に入った先学期に、
この真逆の『不安』を体験した人が多かった。
安らぎが無いと書いて、不安。

このプログラムがどれだけ大変か、
周りは出来る人ばかり、なんて考える中、陥りやすい罠。
それは、人と自分を『比較』するということと、人を『批判』するという事。
勿論、自分もこれに陥った時があった。
そして、それにどっぷりつかってしまったというクラスメートの話も聞けた。
提出物が返ってくるたびに、自分は○○点だったけど、リエルは?と
執拗に聞いてくる人達もいた。
(アジア人=皆超頭いいと思われてるわけで。^^)

そして、ふとひらめいた瞬間。
『何しに来てるの?』という言葉が口をついて出てきた。
もちろん、自問でもあるし、他の人への質問でもあった。

人と自分を比較して、
『はぁ~、私は○○さんより出来てる、良かった~』
『××さんって、あんな事も出来ないのか~』
『○○さん、ああいう事は頭いいけど、こういう事は苦手そうだ。』
と思って、安心してみようと試してみる。
その逆に、
『あ~、○○さんって何でもできて凄い。 僕はどうしよう。。。。』
と不安を自分で勝手に煽ってみたり。

中でも、『競争意識』ほど、健康な魂を蝕むものは無いと思う。
(成果、結果主義のアメリカには多い事なのだけど。)
最悪な競争心は、相手への嫉妬を燃やし、
相手へダメージを与える事でホッとする事だ。
『○○さんって、××も出来ないの? 私は出来るから良かった。』
『○○さんって、××ももってないの? 私は持っているから良かった。』
それはもう、傲慢と劣等感の混沌とした世界。
自分に自信があったら、こういう考えは出てこない。
つまり、自信の無さの表れ。

そういう事を繰り返していても、『安心』できる日はこない。
人なんてどうでも良いんだね。
人と自分を比べてじゃなきゃ、ほっとできないとか、
人を批判することで、ほっとするとか、
そんな『ほっ』は本物の『ほっ』じゃないから、
又すぐ不安に陥る。
その繰り返し。

自分が何をできるか。
自分がどうできるか。
自分が何を学べるのか。

これに気がついたとき、本当の『安心』がやってくる。
それも、簡単になくなってしまうことの無い『安心』。

それを感じだしてから、
勉強することが本当に楽しくてしょうがなくなった。
それは、自分らしく勉強できるからだし、
自分の事だけに集中できるからでもあるし、
『学ぶ』ということを満喫できる余裕も出てくるから。
つまり、『勉強』という瞑想をしているようなもの。

これは学校だけのことじゃない。
皆の心から、人との『競争』や人への『批判』を考える時間が無くなれば、
全てが、効率的で、健康的になる。
競争心は、勝手にもたれる事も気持ち悪いけど、
勝手にもつ事も、居心地がわるくなるものだ。

これは、真に自戒の念も込めて、そう思う。

stormday
ダラス周辺、寒波が来ています。
NYやらボストンの時を考えると、これくらいで・・・・と思うんですが、
いやー、すっかりテキサンになってしまったワタシ、寒さが体に堪えます。
雪やIce stromに慣れていないテキサスの道路事情のため、アチコチで事故多発中!
ワタシも学校が明日からという事でほっとして家に篭っております。(^^)
テキサスには珍しいグレー色の空と、
ご近所の屋根にくっついた氷(雪じゃありません)の写真を撮ってみました。 
あちらこちらの家の壁に、そして何と走っている車に氷柱がさがってました。(さぶっ)
chokomaclose
学校が始まる前の週末は、家族でまったり過ごしています。
ちょっと休みの間、色々な人に会おうと思って出歩きすぎた感もあるので(--;)、
我が家で猫と遊んだり、夫とビデオを見てみたり、
学期が始まったら中々手の込んだお料理ができないので、
煮込み料理をつくったり、
猫達の写真をとってみたり。
暫くは無いだろうボーっと出来る週末を楽しんでいます。

久々に、『変な顔写真』が撮れたのでアップ。(^^)
バーバリー君、カメラ向けるとカメラに興味深々。


あっという間に冬休みも過ぎ、来週から学校が始まります。
お休みの間に、数人のクラスメートと個別に会う事がありました。
学校内だったり、授業の間の休憩中だったり、勉強会だったり、
勉強つながりでしか会う事がなかった彼らとの、プライベートなお話が出来て
ふとしたことがきっかけで『会おうか』となったのですが、
これが本当に良かったなぁと思えました。
人間って、つくづく簡単に判断しちゃいけないなという自分への反省が出来ました。

このお休みの間、自分がもう少しSpritualに成長できる出会いもありました。
あー、自分のこういう所が足りないところだなぁと気付かせてくれる人もいました。
それをきっかけに、久々に自分を見つめる時間をたっぷり持てることも出来ました。
ソーシャルワーク以外の分野の本も幾つか読むことができました。
そんな事もあって、自分を何歩が下がったところから見つめる事もできました。

そんな中、自分の周りのことが『当たり前』になってきている自分に気がつきました。
そうだった、10年前の私は病み上がりで殆どベッドの中で過ごしていて、
自分には将来はないと思いながら数年過ごしていました。
元気に自分の夢を追い続ける人が羨ましかった。

でも、あの頃の事、自分は忘れてしまっていることが最近多いのです。
変な話ですが、一人でトイレに行って、毎朝快調に用事を済ます事
(お食事中のかたごめんなさい。)
そんな事にも、感謝していた時期が私にはあったんです。
そうなんです、トイレに行って快調だ!って思えることって素晴らしい事なんです。
当たり前じゃないんですよ、皆さん。(^^)

少しベッドから起き出していた頃、歩いて10分のスーパーに買い物に行く事が辛かった。
スーパーについたとたん、もうグッタリして座り込んだりしていました。

元気になってくると、一つ一つ出来なかった事が出来るようになって
涙が出るほど感謝の念をもっていたのを覚えています。
その階段を上るたびに、『希望』というものも増えていった。

そして、元気になって外にでだして、沢山人との出会いがあった。
その一人一人の人達との出会いが、回復への一里塚のようなものでした。
そういう出会いへの感謝も忘れられません。

楽しい時の友人は、いくらでも寄ってきます。
でも、辛い時、どうしても話が暗くなってしまう時の友人はそうそうはいません。
でも、そういう人達も居たんですね。
昨年末に挙げた幾人かの友人も皆、私の辛いときに友人で居てくれた人達。

ソーシャルワークを選んだのも、そういう所から来ていると思います。
今度は私の番だという気持ち、そして 
誰かが辛い時に、自分が何か出来ればという気持ちから。

そんな私が、40になってマスターを取り、
またそこからPh.D.へ行って勉強が出来るという事。
もー、そういう場所に居る事が出来て、
そこで頑張ることが出来るチャンスを与えてもらえた事だけで奇跡です。
10年前の私が、今の私を想像できたことでしょうか?
とんでもない、10年前の私にこんな事をいう人が居たら、
『頭おかしいんじゃない?』と思ったでしょう。
そう思えば、本当にこのチャンスに幾ら感謝しても足りない程だと思うのです。

未だに、人より頑張る力がまだまだ備わっていないので、
(いつかは絶対普通の人と同じ程の体力が出てくる!って信じてるんです。^^)
ちょっときついことが在ると、体のあちこちに出てきたりし、
年齢的にいって、『無理じゃない?』と思われるPh.D.への挑戦ですが、
『自分に今無いもの』を手にとって嘆きつづけるより、
『自分が今もっているもの、そして昔に比べたら回復したもの』
を見つめて、このチャンスに感謝して、
そして、いつかはこんな私でも人様の役に立つのだと信じて頑張りたい。

これは無理強いして自分にそう思わせているのではなく(^^)
ふと晴れた日に、朝一にトレに行って快調に用事をたして、
『今日も快調!元気だね!』と思いながら(笑)
全ての周りの人達に感謝して、
全ての周りの出来事に感謝して、
今の自分の状況に感謝して、
そして、『今日はどんな事がまっているか』、
『今日はどんな勉強ができるか』
『今日はどんな人達と出会えるか』
そんなワクワクなき持ちを持つことができるんですね。

でも、そんな当たり前な気持ちが、先学期ちょっと薄れていたんです。
人間『喉もと過ぎれば』ということで、全ての事が当たり前になっていた。

そんな自分を、気付かせてくれたクラスメートとの会話や、
新しい出会いに、また感謝しています。

私は、ちょくちょく『感謝の気持ち』という言葉を口にするのだけど、
『生きているのが不思議』といわれた昔の自分を思えば、
全て『感謝』の気持ちでしか表現できないのです。

さぁ、新しい学期、また大変な勉強はまっているけど、
兎に角、こういうチャンスを与えられた事に感謝していきたいと思います。
今の私には、将来Ph.D.とうい称号を貰うという先のことより、
『今、こうやってPh.D.という場所で勉強できる』というプロセスが嬉しい日々なのです。

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猫のお腹のにおいを嗅ぐこと☆
自己紹介:
40を過ぎて、博士修行に挑戦中。
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