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テキサスの空の下、猫の事、学校の事、家族の事。。。
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ふと気がつくと、既に11月半ばですねぇ。
あっというまに過ぎたここ数ヶ月。
今頃やっと学校に慣れてきたというか、
Ph.D.の勉強の仕方になれてきたという感じです。

クラスメートは既に半分の8人。 
結構今までの学年の人達より減るのが早かった様子。
いろいろな事情や、あまりのやる事の多さに圧倒されてしまう人もいました。
気がつくと、『あれ、○○さんは?』という事が
毎週月曜日に起こっていました。 
最初の学期が、兎に角山場だと言われました。
これを乗り越えれば、大分となれて来るし、やめる人もいなくなるそうです。

勉強はそれだけ大変だし、
私が想像していた以上に、修士のときより難易度は高いです。
入学したての時に、学校がPh.D.の生徒のウェルカムパーティーを開いてくれました。
学校のボールルームのような素敵な場所で、コースのランチを頂きながら、
教授陣、そして既にPh.D.の入って数年たつ人達と色々なお話をしたのですが、
あまりの特別待遇に、
『ほー、これが博士過程の生徒達の扱いなのねぇ、修士とは大違いだ。』
と思っていたのですが、それだけ一人一人のPh.D.生徒にはお金と時間を掛けるわけで、
それにそぐわなけれが、いつでもやめてもらってよい
というメッセージでもあったのかもしれません。

これだけ大変な勉強をつづけるには、やっぱりMotivationやMissionを感じていなければ
大変だし、自分も苦しくなりかねないと思う事頻繁。
私も日々の課題に追われているときに、
ふとそのMotivationというものを忘れそうになるという事もありました。

そんな時、この手製のチューリップの造花の写真を見るのです。
このチューリップは、私が人身売買や家庭内暴力の
被害者の人達のセラピーをしていた時に、
その被害者の一人の女性が、シェルターにある廃品を使って作ってくれたものなのです。
私のデスクに飾っていたのですが、今でも写真を大事にもっています。

『貴女の親切を忘れません。 貴女の心を忘れません。
 私は何ももっていないけど、お礼に私の心と、このお花を差し上げます。
 一生懸命作りました。』

といって手渡されたチューリップの造花。 廃品で作ったものには見えないほど。
シェルターの外にあった土を廃品のコップに入れて、
作ったチューリップを生けて作ってくれました。

Ph.D.というややもすると、実際のPracticeの場所から距離を感じる場所で
人助けのプロとなるために勉強していると、忘れてしまいそうな大事な事があって、
それを、このチューリップの写真を見るたびに、思い出させてもらいます。
大変な勉強だけど、前向きに、高いMotivationを持って頑張りたい、
そんな気持ちにしてくれる大事な宝物です。

あと数週間! がんばるぞー!

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気がつくと、十月も半ばを過ぎています。
ちょっとここのところ一ヶ月の記憶が薄い・・・・あはは。
いやー、忙しかったです。
忙しい、忙しいっていうのは余り良い事じゃないんですが。(^^)
でも、ある意味充実しているのだと思えるのです、
それがどんなに大変な時期だとしても。

中間地点で、すでに五人が去っていきました。
つまり、三分の一がいなくなったという計算です。
それは決して学力が足りなかったという事じゃないのですね。
どの人も、Ph.D.まで来ているので、それなりに優秀な人ばかり。
でも、人生にはタイミングってあるのですね。
妊娠が発覚したり、仕事との折り合いがどうしてもつかなかったり、
家族の中でのほかのコミットメントの比重が大きくなったり。

そう、クラスのどの人に何が起こって、
ある日突然生活のバランスが崩れてしまうかは分からない。
それだけ、Ph.D.のプログラム自体にコミットする時間は、
日々の生活の中でとても大きい。
皆平均して、週に最低30-40時間は勉強しているはず。

私も最初の数週間は兎に角、その量に圧倒されて、
翻弄されそうになった事もありました。

何より大事なのは、周りのことにコントロールされない事。
カイロの先生とよく心理のお話をするのですが、
彼が一言こんなことを言いました。
『問題が自分をコントロールしだす前に、自分が問題をコントロールできるかがキーだね。』
これは実に、人間の日々の心理を言い当てた言葉だと思います。
問題に自分をコントロールさせた時点で、それは既にストレスへと変わっていく。

最初の大変な数週間、翻弄されそうになった数週間、
これを通ったからこそ、今きちんとバウンダリーを引いて、
落ち着いて勉強できるようになりました。(^^)

これこそ、Beauty of our mind. なのですね。
私たちの心は、何と自由自在なのでしょうか。
私たちが、周りの問題を私たちのバウンダリー内に入り込むことを許容しなければ、
私たちは、Problem freeでいられるのですね。
全ては、誰の心の中にでも存在する臨機応変さと強さによるもの。

そして、どうしたって自分がコントロールできない事を、
コントロールしようとしない事。
これほど、無駄な労力はありえないからです。

試練は、必ず何らかの一段階上の人生の答えを与えてくれるのだといつも思います。
最初の数週間の大変さは、また大きな気付きを与えてくれました。
気付いた事を、実行するかどうかが実はまた難しいことなんですが(笑)、
誰でもない、自分自身のために、そういう努力もしてみようと思っています。

勉強量は多いけど、本当に大事な事を沢山学んでいます。
将来、教授となり学生を教える事もありえるわけだから、
(私は他にも目的があるのですが。)
今教わっている多面な事をおろそかにせず、身に着けて行かねばと思います。
そういう責任感も実感せねばと思えています。

少しづつ、色々な教授陣とも交流を深めています。
来年になれば、コミッティーのメンバーになってくれる教授を五人見つけねばならないので、
今のうちから、学校で時間が在るときに、色々な教授とお話する機会を作ろうとしています。

とにかく、マイペースで、そして周りのProblemに翻弄されないように、
しっかりと舵をとることで、よいPh.D.生活がおくれるのではと思えています。

なんて、年配Ph.D.生徒は、余計な人生観まで考えちゃうんですね・・・あはは。
ゴタク並べてる間に勉強せー!ってところでしょうか。(--;)

ご無沙汰しています。
中間期で提出物も多く、試験もあったりで忙しくしていました。
遣り甲斐もあるし、大変な道なのだという事も日々実感しています。
修士までは、まだまだ学校が与えてくれるガイドラインをこなせば、
そして努力をしていれば、それなりに成績も取れると思うけど、
『あなたたちは知っているはず』という土台のもとの授業なので、
自分できちんとポリシーをもってないとと実感しています。
そして、Motivationをしっかりもっていないとなえてしまう場所。
仕事をしていたり、家庭があったりの人も多いし、
なんと、片道五時間かけて田舎町からかよっている人も二人。
だれも、それらのことを言い訳にしたりする人はいない。
そこいらにMotivationの高さを感じさせられています。
しかし、ここにきて既に合計四人がさっていきました。
Motivationが高いからこそ、愚痴をこぼし続けながらやるよりも、
潔く辞めていってしまうのかもしれません。
一人減るごとに、残るクラスメートの心理的打撃は大きいと思います。

さてさて、今日はちょっと長文なのですが、
ここのところよくあちこちで聞かれる質問に、色々考える事があり、
一度は書いておきたいなと思ったことを書き留めておきました。

アメリカの大学院に通っているという事で、
これから留学しようとする日本人からアドバイスを頼まれる事が在る。
その殆どが、『どこの大学が一流か』、『どこの大学が福祉では一番有名か。』
こういう質問を受けると、本当に困ってしまう。
このベイシックな二つ以上の質問が無いというのが悲しい。
 
名前が有名じゃないから、学校が一流じゃないからと、
自分が入った学校を後から卑下する人の話もきく。

これって、日本人から聞かれる事が多いので、日本特有なのかな。
勿論アメリカでも、アイビーリーグを出ている人が、それを自慢する人もいるけど、
だからといって、有名ではない大学を出た事を卑下するひとを私は余り知らない。
 
大事なのは、『有名校』に入る事ではなく
『自分が一番勉強したいことがある』大学を選ぶ事だと思う。
『どこで勉強したか』より『何を勉強したか』が大事だと思う。

結局、どういう大学を出ても、本人次第。
アメリカ人社会のなかで働いた事も在るから、
この『学歴』ということが、実力より大事ではないということを、
沢山のアメリカ人に見せ付けられてきた。

ある一定の移民の社会のなかでは、異様に学歴を気にする人はいるけれど、
アメリカの社会のなかで、いったん社会にでてから、そこまで拘る人は余りしらない。

だいたい、あまり自分の学歴を気にしない人ほど、
相手が有名大学に行こうが、
無名大学にいこうが、それを一々気にしないのだと思う。
それを気にする人の『心』が、相手を『あー、有名大学の人なんだかぁ~』とか
『あ~、無名な大学の人なんだ~』と意識しすぎるのだと思う。
そんなこと気にしない人は、相手がどんな学歴を提示してきても、
別に全く気にならないと思う。
So what? の態度を取る人が私の周りには多い。
勿論、私の友人のなかには高卒の人も多いのだけど、
高卒でありながら、会社のなかの要人となっている人も多い。
彼女たちから学ぶ事も本当に多い。
とくに私自身が31歳まで高卒だったから、
そういう学歴を気にするという事自体、
学歴がほしいだけで学校に行くこと自体、
そしてそういう人達自体も、別世界の人に思える。
何がだいじかって、中味のはず。 何を勉強して、
それをどう社会に役立たせたか。
 
是非、これからアメリカ留学を計画している方がいるのなら、
『何を勉強したいか。』
『自分がやりたい専門が一番強い大学は何処なのか?』
で学校を選んで欲しいと思います。
『名前』だけで選んでしまったら、必ず後々から後悔する事が多いと思います。
そして、相手の学歴が良くても悪くても、そういう事で人を判断する目は捨てた方が良い。
そのひとの『実力』で判断することが、アメリカでは社会に出たら何より大事だから。
そして、その学んだ事で、どう社会に貢献できるのかというMotivationをもって欲しい。
そうすれば、どんなに大変な勉強がまっていても、頑張れるはず。
 
自分が学歴で他人から判断されるんじゃないか?と戦々恐々としている人は、
その無意味な考えを捨てた方が良い。 
そして、貴方の学歴や、何大学を卒業したかを気にする人がいたら、
直ちに、その人からパーソナルバウンダリーを引くべきだろう。
なぜなら、その人は貴方に何のベネフィットも与えてくれないはずだから。

貴方がどんなMotivationをもっているのか、
貴方が何を学ぼうとしているのかに興味を持つ人が、本当の友人だし、
最高のチアリーダーとなってくれるとはず。

既にクラスから二人の姿が消えてしまった。
やる事の多さに圧倒されてしまったのかもしれない。
そんな事を他のクラスメートたちと話していた。
それは、本当に大変な決断だったと思う。
そして、Stayするにしろ、Leaveするにしろ、
その決断をRespectしたいと思う。

ここのところ一段と結束が固くなってきている。
それぞれ、もう大人な歳の人が殆どなので、
勿論家庭もあったり、仕事もしていたり。
そんな中、Ph.D.を取るというのは並大抵な事じゃないと
周りを見ていても実感する。

近しくなってきた事で、それぞれのMotivationが見え出しきている。
これは決してソーシャルワークのPh.D.だからだけではなく、
Ph.D.まで来ている人は、
ステイタスが欲しいとか、高給が欲しいとか、
高学歴が欲しいとかのレベルで来ている人は殆ど居ない。
そういう気持ちだけで来ていたら、たぶん卒業はまず無理だと思う。
もっと、利他的な目標ももたないと、これからの四年間は苦しすぎるだろう。

私の周りの人々は、
何かしら社会の為に役に立つ研究をしたい、
社会に役立つ人達を育てたい、
また、自分が小さい時に辛い事があったからこそ、
同じ立場の人々のために役立つ事をしたい。
皆そろってそういう気持ちできている。

そういう高い志がるからこそ、家族も皆サポートしている。

クラスメートの一人が、彼女が博士課程に入った事で、
(彼女は結婚していて、まだ小さな子どもがいる)
遠ざかった友人がいたという。
『出来るわけない。』、『そんな無理をしてまで』、『家庭を犠牲にしても偉くなりたいの?』
という言葉が聞こえてきたという。

そういう言葉が出てしまうという事自体、
たぶんその友人は、私のクラスメートの本心も知らなかったのだろうし、
(彼女も、Ph.D.を取得する事で、社会に貢献できるを考えている一人)
浅いスーパーフィシャルな部分でしか人を見つめることが出来ないのだろう。

本当に勉強は大変だ。
でも、だからこそ頑張っている仲間達。
そして、彼らが将来色々な場面で、社会の為、人々の為に
活躍することを願って止まない。
足を引っ張る人は幾らでも居るだろうけど、
それはその人の問題だから、
頑張って進んで欲しい。

どんな問題でもそうだと思う。
例えば、逆にキャリアをはなれ、
子育てに没頭したいという、また違った優しく高い志のお母さんがいたら、
その志を暖かく見守り、理解するのが本当の友達だと思う。
実際私の友人にもこういう人が多い。
『もったいない』などという人が異常に多かったらしいけど、
私は、どんな仕事も崇高であると思う。
ましてや、『お母さん』という役割が、
どれだけこの世の中に貢献しているかを考えると、
何より大切な仕事(というと弊害がありますが、You know what I mean...)
だといつも思っているし、『母』という人達へのRespectは計り知れない。
仕事を離れるお母さんも、仕事も頑張るお母さんも、
どっちもRespectをはらって、友人であればサポートするべきだと思う。

頑張っている人をみて応援できる人間でいたいと思う。
ましてや、自分と違う世界で頑張っている人をみて、
足を引っ張るような事を言うことだけはしたくない。
違う世界で分からない事があるけど、
そこにその人の高い志や、優しい心があるのなら、
私は無条件に応援したい。
違う他者を理解し、その上サポートできる事は、
人間としての大事なクオリティーだと思う。

どんな仕事でも、どんな役割でも
頑張ろうとしている人を応援できる心の余裕は大切だと思う。

ちょっとお話がそれたのだけど、
クラスメートの、将来の目標を聞くと、
社会の為にと頑張る姿は、私にも大きな力をくれている。
そういう人達に囲まれていることに、感謝したいと思う。

何だか既に一ヶ月以上は経っているような感覚。
内容の濃い時間をおくっています。

修士の初学期に、バチェラーの時と同じ気分で
5教科をとり、違いに驚かされたのだけど、
今回は三教科 (これでフルタイムです。 それ以上は取りたくてもダメ。^^)
だけど、修士の時の三教科とは比べ物にならないです。
『深く、広く』という感じなので、手抜きは勿論できない。
クラスの人数も少ないから、勉強してないとすぐ分かるしね。
ましてや、哲学を含むクラスでは殆どディベートだから、
まずは読むもの読んでないと、その先に進まない。

でも、そのディベートの時間が一番面白い!
『正しい答え』なんかない、『自分がどう思うか、それをどうサポートするか』。
ディベート好きの私には、色々考えさせられるし、
大人な感覚のクラスメートばかりなので、丁々発止と意見を言い合っているのは
とってもキリリとした雰囲気で気持ちいい。
あんまり皆が真面目顔すぎて、噴出してしまった時もあったけど。(^^)

クラスメートも、皆殆ど仲良くなった。
ここで知り合った同期は、後々まで関係が続くのだという見解もあるからか、
だんだんと結束が固くなってきている。
出来るだけ、誰一人減らずに、この学期を乗り越えられるようにと願う。
皆、それ相当の覚悟で来ている人ばかり。
皆大人だし、それなりの覚悟があるからこそ、ネガティブ思考な人はいない。
大学以上になったら、誰から頼まれてきているわけではなく、
自分が好きで来ているのだと、修士の入った時にある教授に言われたけど、
全くその通りだと思う。
自分で選んで進んできたのだから、そのチャンスを最大限に使わねば。

勉強は、自分がしたかった事だから苦にならない。
ただ、兎に角もっと時間が欲しい。
するべき事はしているけど、もっと深く探りたい勉強もある。
でも寝る時間だけは削れないもんねぇ~。
出来る事を、できる範囲で頑張れば結果はついてくると思う。

家事はマルティ・タスキングにこなすしかない!(^^)
本読みながら掃除とかね。(爆)
何より、一段と手抜きな主婦となっているこの私を
『全ての面でサポートする。』と言い切ってくれた夫ちゃんに感謝だよね。
この人がいるからこそ、こんな未だに半人まえな私でも
学校に通えるんだと思う。
たまには、夫孝行しなきゃなぁ~☆
それも、冬休みまでお預けかもしれないね。 

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